おたく文化内における、笑いの素朴さ

http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20070201/1170316516


おたく笑いにおける、個人的に最も顕著だと思われる稚拙さは、楽屋落ち、身内ネタに通りがいいと思います。そもそも楽屋落ち、身内ネタは、その内部にコミットする必然性があるので、外部及び、おたくやサブカルに属さない人間が持つ笑いから乖離しているので、島宇宙化して見えると思います。
しかし、友達内でのみ分かる話。ネタ。等という意味においては、おたく以外の人であっても自然に用いるネタの種類だと思われますし。それに一番顕著なのは、おたく・サブカルからもっとも距離をとっているように見えがちな、女子高生文化に当ると思います。その意味では、女子高生ギャグとおたく笑いの類似性は簡単に見出せるでしょう。
つまり楽屋落ち、身内ネタ。というのは、スキルに関わらず、自虐ネタ位には、簡単にクリエイトする事の出来る、オーディナリーなネタという事ができ。私はこういった現象に『プチ宗教』感を見出します。


自分で上げておいてなんですが、女子高生ギャグと、おたく笑いのスキルの違いで対立させることで、その間から様々な事柄が零れ落ちますが。分かりやすく『おたく笑い』に感じる違和感を、際立たせる事が可能かと思うので。その手法をとります。


まず、互いにおける対象の違い。これを上記した『プチ宗教』と名付けるならば、宗教に於ける経典や教祖が、ネタに於ける対象になります。どんなネタになるかは、そこで決まるので、経典や教祖に対する距離の取り方から<面白いか、面白くないか>または、それを飛び越えて<気持ち悪いか、ムカつくか>が決まってくるのですが。内部に(教団内)に入っているうちは、それが見え辛くなることがあります。それが何故、面白の正誤関係に当るのか。また、それが見えづらくなるのかというと。ネタにする本人の内面が関わってくるからです。


それは、教祖とネタを酷使する本人の距離の取り方が、自分がこの場所で、どう在りたいかという願いの表れとして表出する為です。
<近い どちらでもない 遠い>
で言うと、近いとベタベタに。遠いと、ドライなイメージのネタになりますが。ドライは逆説的にベタベタでもあるし。ベタベタは、逆説的に吹っ切れたドライでもあります。なので、それはどちらかが良いと言う問題ではなく教団内でのパワーゲームでもあるのですから、常にどこかに腰を落ち着けるような事、それ自体が何よりもネタの強度の面から見た時に致命的だと言えます。このフットワークの軽さを、間とタイミングというと、より笑いの話にらしくなってきますね。つまり、笑いにおいてアイデンティティー(自分がこの場所でどうありたいかという希望)とはベタ化であって、長期的視野においては、危険だと言う事です。しかし、私の目に映る『おたく笑い』とは、ここ数十年、対象自体は変化しているものの、対象に対する距離の取り方については、全く進歩していないように見えます。それは、<近い どちらでもない 遠い>のどこか座る位置を常に探して、座ってから話し始めるその姿勢にあります。そんな行為が面白い事はありません。笑いにおける、フットワークの軽さ、フレキシブルさ、対象に対する距離の取り方。全てにおいて、女子高生から何十歩も遅れています。何故遅れたかと言うと、勿論、ずっと同じ場所に居るからです。
が、ギャルにおいてもその限りではありません。ギャルサーと言う、島宇宙化や、ギャル自体の細分化、といった部分にそれは現れています。おたくが細分化されたのとほぼ同時期と言うのは、なにか社会的(抑圧)要因があると思われます。
そういった意味で、ギャル一人一人やおたく一人一人の、おたくを経た先にある物と、ギャルを経た先にある物の話なのかもしれません。ギャルが、社会的に20歳を超えて続ける事の気恥ずかしさに敏感なのに対し、そこに対し最初から大人になっても、そういう趣味を続けるという事が印象的に含まれているおたく文化が出遅れるのは止む終えないのでしょう。


笑いというのは、弱肉強食で、野獣系である事が求められます。それは、演者のパーソナリティには寄りません。例えば、引き芸というのがありますがあまり映える芸では無く、場所を選びます。しかし、イクォール草食系というわけではなく。引いたまま、パンチを打たないで(喋らないで)そのまま面白い印象を与える事は、相当困難です(見た目、格好に頼るなど、無理ではないですが)。引いたら引いた分、印象に残るパンチをあてるか、引いた事を有効に使ったパンチを打たなくては、なんの笑いにもなりません。つまり、草食系に見える芸人であっても、パンチを放つ訳です。そしてパンチを打つことを強いられる場が、笑いの場であって、そういう意味で野獣系でしかありえません。


安全な場所を探す。安全な場所からボケる。そういった距離の取り方をする笑いを、私は今回『おたく笑い』と言う言い方をしてきました。そして、安全な場所を探す。安全な場所からボケる。そういった距離の取り方をする笑いは構造的に面白く無いことを主張してきました(サラリーマン川柳かお前は(言ってる人だけが面白い))。が、アニメ、エロゲー、声優、アイドル、女子高生の会話劇など、知らない分野を書いたって、この程度にしかならないことが分かりました。
結局なんの具体例も出せていないし、対立構造も、おもっくそ御座なり。ヒドイもんですね。