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大切なことはすべて君が教えてくれた

TV


今回の月九ヤバい。こんなニヤニヤ動画久しぶり。
これが中野Pじゃないっていうのが今のフジの強さ


まず俳優の裏側にある膨大なデータベースが前提にあった方が面白いので、時間があったら調べてからだと思い入れが変わると思う。
三浦春馬だったら恋空とか君届とかあって、関西SLAMDUNKがライダー、電車男がジャニーズ、メイド喫茶がセブンティーン、元カノがAKBって前提で見ると楽しい。そんでこの多アングルからのコミットと教室の相性がいい。
それは演出的には学園ドラマにありがちな教室の息苦しさが無く、外気と室内がフラットに演出されている為、教室の緊張感とドラマの緊張感が決してイコールにならないことで、ドラマの推進力が場に支配されないっていう利点を有効活用しようって所かと思う。場は時間の進行さえいじってしまうので、設定や世界観よりも俳優の持つ身体性がドラマの推進力になってるこのドラマにはすげえ相性がいい。
で、このドラマは変則型群像劇になってると思うんだけど、作っているのがコードブルー班だから群像劇を描くチカラには心配無い。
音楽の使い方も中野Pかと思うような(笑っちゃうんだけど)ハッとする使い方で(走りだして音楽ジャーンって月9的には超盛り上がりポイントなのにむしろ爆笑ポイント)、こういう意地の悪い演出はフジが今一番面白い。


で何がヤバいかって言うといきなり第一話からおかしい。一応生徒同士のセックス話なんだけど全然目立たせない。普通ならあの二人を軸にして2話はいけるよ。初っ端からセックスの話してるのに、ストーリー的には三角関係をそわそわさせる単なる道具立てでしかないし、裏表紙としては学園ドラマは単なる飾りで一側面でしか無いことの仄めかしになってる。
第二話は女の子同士の友情のレイヤー話で、これもホント申し訳程度にしか使わない(いや言ってることは「ここでアンタに謝れたら許さなくちゃいけなくなるからズルイ」みたいなエゲツない話してるんだけど)。印象に残ったのは、一番メッセージ性の高い春馬のご高説にバラード流してゆっくりパンして…って部分が、そもそもお前さあっていう突っ込みによって成立してないっていう、演出とズレた文脈の方を読ませようという作りになっていて、なにせ誰にも感情移入出来ないように、他のシーンでも切り替わりの前にきな臭さを常に残してそれぞれのシーンが終わるわけ。いわばドラマの山になる泣かせを誰も泣かせとして受け取ってないという、視聴者を客体としていることが分かるシーン。ナレーションとか心の声とか、一人称なのに全然共感とかしないし、むしろ「ざまあw」くらいに感じる。この事から、近いのはスキャンダルとかゴシップかなと思った。
また第二話辺りから演出がキレキレで。普通のドラマなら最低限ヤラなくちゃいけない、端役の人間が画面からハケる理屈・画が全然無くって、このドラマで描きたい必要な会話・関係性以外を全く描く気がないという(TVの悪い部分として揶揄されがちな部分を)、完璧に割り切った通常ありえない作りになっている。例えるならギャルゲーで移動は一瞬、テキストはスキップ、やるのはイベントだけみたいな感じ。
まとめると第二話時点で、ゴシップ的なアングルを抜きどころだけの場面スキップで見せて、山場で皆で一斉にツッコむ外部のコミュニケーションに特化した装置としてのドラマである一方、「それってお前らだよな」をもう一度物語の内部に循環させる狡猾さも伺える。


ここまでで基本情報と第二話。この後もクソ長いから一端休憩


そんなことをやりながら、核になる三人の話は連続ドラマとしては異例なスピードで展開していきます(春馬が生徒とセックスしてたかも→その生徒に脅され出した…→即効でバレた!→えっ難病モノだったの!?)。
この辺りから、戸田恵梨香がおかしくなり出したり、春馬の主体性の無さがちょっと尋常じゃない事が伺えだしたり(決定的な部分の話を誰も覚えてないハングオーバー形式のミステリーになっているのでそもそも核心の主体は画面上にない)、実は周りの人間もなんかオカシイかも知れない感じになってたり、群像劇的な緊張感がパない。
最後まで引っ張るかと思ってた話を速攻で終わらせてしまったので、そもそもヤったんかこら。という部分が今度はドラマの推進力になりだすのですが、普通バレるかバレないかサスペンスに行くような話を第二話でさっさとバラして、じゃあヤったんか話に移行するかと思いきや、これまた第五話で呆気無く真相が判明します。
最早このドラマが普通では無いことは、かなり明確になって来ているので、では何なのかが俺的には気になるところです。


で俺が注目したのがSLAM DUNKと、武井咲のプロフ。
ドラマの中にSLAM DUNKが出てきて、武井咲ケータイ小説風(難病純愛)日記があって、ドラマの中の人それぞれの物語がある。その武井咲が一日だけ死んだお姉さんの人生にトランスした。正直インセプションを想像したんですよね。例えば、武井咲の少女漫画風モノローグ場面を、三浦春馬がケータイで読んでるって見せ方をするんですけど、それって完全に読者って事で、武井咲のドラマを三浦春馬が読んでいるって描写だと思った。実際、生徒の前にいる時の春馬が本当の自分かと言われれば、教師という仮面を被っているかもしれない、みたいな台詞が出てくる。それと見ている間に、何度もジャンルが変わる感覚があって、それは演出がラヴロマンスや難病やミステリーやコメディやドロドロサスペンス劇場のような、そのジャンル特有の画に(音楽でもいいけど)カメラが誰を写しているかによって変化し、それが一つの話の中に同居しているって感覚があったんですね。
それで思ったんです。もしかしてみんな頭の中では自分が主人公で、そのジャンルが人によって違うから主体が変わるたびにジャンルが変わったり時間の流れが変わったりするのかな、と(そう言われれば前回の月九『流れ星』もそう思えるドラマだった)。


さあさ此処から核心に行く前に一端休憩。


そう考えるとこのドラマは、複数のドラマを同時に抱えた、本当の意味で主役が複数いる群像劇を徹底したドラマなのではないかと思うわけです。となると、主役が変わるとき、一シーン前まで主役だった人が今度は脇役になるわけで、例えば春馬は彼女や家族や生徒から、別々の物語の登場人物として見られながら自分が主役のドラマも持っている、にも関わらず、自分が主役のドラマを主体的に引き受ける事が出来無いが為に、最大公約数的な倫理観を演じ続け、それでも人生を謳歌しかける全く感情移入出来ない造形だった。その証拠に、最大公約数的な倫理観によって一人の生徒を守る事が、掛け替えの無い恋人や大事な家族を傷つけていてもそれに気付かない、主体性はないくせにカッコだけはいっちょ前につける人物に見え。これは、ドラマの視聴者として設定された客体でもあるんじゃないか、という風に読めるのです。
ドラマじゃなくても普通に、誰かの物語の正義を執行すれば、また誰かの物語では悪になることがあるのは当たり前で、そこを念頭において話は進んでいくものですが、主体性のない空っぽの客体である春馬は、無責任に武井咲のドラマを引き受ける事で、武井咲以外には悪役として認証されるのに正義面を下げるという、天然のルルーシュだった訳です。
第五話で、武井咲が涙ながらに事の顛末を説明するときも、武井咲主体で、それなりに感動的な音楽とかカットバックとかあるんだけど、必ずしも武井咲は主体じゃない為、えっ…なになにこの子。って見えるし。教室学校病院実家が大変なことになったのは、全部あなたの難病モノドラマに付き合わされた結果だったの。という客観性が常につきまとう。
このような事柄から、ここまで見ている間に、同時に何本ものドラマを見ているような気分になるのは、気分じゃなくて実際に複数のドラマを見ていたからだったんだと思うに至ったんですね。半歩視点をズラすだけで悲劇の主人公から、「今更何言ってんのこいつ」に変わるのも、隣の人の登場人物としての自分は何役か当の本人達が自覚してないからですし。全員主役面してっからみんな馬鹿みたいだし、誰にも感情移入出来ない。しかし演出レベルでまるで他のドラマが同居しているかのように見せる手腕は、全員に全く違う台本渡してても成立するレベル。だからこそ最初に言ったように、春馬にヒロや風早の面影を重ねてみると面白いんですね。
一言で言えば、スーパー月9大戦だすね。


ココに来て登場人物のみんながみんな自分の中の春馬語りを始めたせいで、もうこの読み解き方しか出来ないくらいのドヤ顔になってしまったけれど、また来週見ると全く違う話をしている可能性があるドラマだから現時点での俺の見方なだけで全然うかうかしてらんないけど


クソ長い文章を最後まで読んでくれて有難う。
ここからはもう少しこのドラマを外から見た印象。


このドラマにジャンルは無いに等しいし、寧ろ戦ってるのは、バラエティ番組とか、ニュース特番とか、それだけじゃなく、ネットを巡回する手や友達とケータイで話す耳や口を、このチャンネルで止めさせる事にあるように見えるんだけど。それは物凄く当然の事をしてるまでですよね。ひな壇芸人とか友達の恋話とか八百長問題とかエロ本規制問題とかと並列に並べられて、コチラをチョイスしてもらう事に演出や脚本や配役が向いていると思えばこの作りは、物凄くひざポンですよ。前から考えてる、バラエティの方法論とか別のジャンルの方法論をドラマに輸入するって話でもあるんだけど、最近のドラマの中で一番理想的に落とし込まれてる作品だと思う。ただ役者さんがちょと可哀想かもしんないけど。
そういうやり方でチャンネルを持つ手を止めさせる、ってやり方が気に食わない人がいるのは当然ちゃあ当然(こんなのドラマとしては低俗だみたいな)。でも別にそんな事どうでもいいじゃん、ドラマだからってTVなんか所詮バラエティなんだから。って強さが俺には物凄いどストライクなんすよね。基本的には爆笑してますよ


もしも普通の学園ドラマなら、学校から家までの往復の場所しかカードをもたない生徒に、それ以外の外部を有した先生が学校外の価値観を持ち込むことで、生徒よりも有利に立ちそのチカラによって生徒を支配し信頼関係を徐々に構築する作りになるんだけど、生徒であっても先生であっても、教室にしかリアルがない事の方がリアルじゃないとか当然だよね。
あの教室での生徒達から涙混じりの怒号を浴びせられるシーンは、金八とかごくせんとかが最終回直前で生徒とセックスしていた事がバレるって展開な訳で、四話なのに教室の関係性は普通のドラマの最終話に近いんだよね。だから生徒が泣いたり怒ったりしているのに違和感がある人もいるだろうけど、それはこのドラマにとって学園ドラマは単なる一側面でしか無いことの証左で、他の学園ドラマや学園モノの映画と比べて分からなくてもしょうが無い。このドラマが異常なんだもん。金八とか2クールかけて関係性をじっくり描いて生徒と教師の信頼関係をつくって、それが視聴者と金八の信頼になるわけじゃん。後は卒業式だけだったのに、その前にいきなり鉄矢のちんこを目一杯大写しにされたら、そら泣き叫ぶんでしょう。そうやってチャンネルを止めさせたら勝ちなのかどうかは、人によるっていうのは前述した通り。俺は好きだけど