ドラマ
ジェネラル・ルージュの凱旋。
フジテレビがうちは医療モノが強いっていう自意識に芽生えた後の新作というのを見てみたいものだけど。一話の時点で映画とか原作と微妙にズレた世界観なので、前作同様ドラマオリジナルとの齟齬でミスリードを誘ったりするタイプのあれなのかしら。堺雅人の役を西島秀俊にやらせるっていうのは、あそこら辺の役者を一緒くたでゴッチャに考えてるみたい。チュッパチャップスって堺雅人が考えたんじゃなかったっけ。あれっ研修医のなかに志葉家19代目当主のタケちゃんがいたような…
やっぱコード・ブルーはよくチャレンジしてたよな。仲村トオルが一応掻き乱すんだけども乖離しちゃってる。というか、仲村トオル一人に任せるには彼の演技は学園祭過ぎる。西島秀俊、戸次重幸辺りの個性的な俳優と絡むともう…
臨場2。
夜中に花火で戯れる若者、カラオケを歌う婦女子、近隣住民の通報、花火を注意した警官が何者かに殺される。ここで日付が変わり21世紀の龍馬こと内野聖陽登場の流れがいい!最高。初回とは言え、一話にめちゃくちゃ盛り込んでくるな。その一つひとつが1話のどんでん返しに出来る位のモノなのにサラッと裏切ってくれるね。それにしても、こういう警察モノの問題は自供のシーンの演出だよなぁ。鑑識を主役にすることで犯人の台詞を抑えて、主役が冷たく突き放すっていう構造はスゴクいいし、音楽もカメラもめたくた頑張ってるんだけど、アップデイトでしかないんだよな。ここに革命が起こせたら、また新しいシーンが作れるんだけど
第二話。評判のいい好青年が前科者だったり、真面目な警官の善意が人殺しの元になっていたり、娘や部下の責任を背負って自殺した警官っていうのは、ある意味日本的に反転したダーティハリー問題だな
ドラゴンナイト。
トレースか流用か知らないけど、原作のリスペクトが過ぎるwナイトは向こうではちゃんと、バットマンとして認識されてるのかな。ウォッチメンとかと同じ流れで受容されるのが政調だと思うんだけども。ミラーワールドは隣人の異教徒とか、脅かされる白人社会みたいな。人種や宗教、所得格差など多くの異なるトライブ同士の戦いは、アメリカ向きのモチーフかもしれないな。関係ないけど、変身っ!ってポーズは向こうではダサいのかな。
大魔神カノン。
この大後寿々花と小西真奈美を足したり引いたりしたみたいな娘のミューズ感がなぁ…ランカ・リーよりも受身体質。監督が入れ込んで PVみたいにならなけりゃいいけど。あっアクションシーンはいいな
激恋。
ケータイ発ドラマ?その中途半端な迂回は兎も角、なんでこういうのはドラマ化されると清純派のぶりっこになるんか。イヤ原作知らんから、これはそういう設定なのかも知れないけど。それって若い子に見て欲しい等身大のドラマじゃなくて、監督目線で見た「かわいい」の反映だろ。カメラワークも展開もおっさん目線のアイドルものというか、ある意味最近のアニメと同じというか、性欲をごまかすようなポエティックな演出とか、グラビアの横についてる(た?)、ある意味面白いポエムみたいなもんでって…これはこれで求められてるのかもな。なんつーか携帯小説ドラマって、新しいアイドルドラマのフォーマットになってるよね。日常の中に常に不穏な空気が流れてたり、なんだか安いライフみたいなんだが…なに、ブラック柏木だと。うーん…より一層、誰向けなのかわからん。
絶対零度。
未解決事件なら未解決である理由に意味が欲しいところ。それと隠された真実を作中の骨のように掘り返す訳だから、警察にとって都合の悪い事実を浮き彫りにする筈なんだけど、そのアングルは無かった。せめてドラマ的な美談に収まらない語り口が欲しかった。そもそも、かわいくて華奢な上戸彩には、分からないけどがむしゃらに頑張るキャラしかないの。それには事件解決を裏付ける能動的動機が、こちらにも見える形で必要で。お前は早く結婚してヤメチマエとならない為には。我武者羅なヒューマニズムじゃ薄すぎる。恐らく上戸彩が男ウケする女子過ぎるんだろう。ちょっと汚くて臭いくらいじゃ上戸彩をキュートに写すだけ。彼女がもまれて成長する過程には、地味でゲロが出るくらい醜い淡々とした警察的リアリズムが無いとダメ。成長ドラマとして成立しない。
八日目の蝉。
子供であっても主体を強いられる歪んだ女のアジール内においてさえ、殆どセリフの無い主体性を欠いた檀ふみを可哀想な客体として描く演出が気になる。どうしようもないバカで全く共感出来ないが、どうしようもなく浮かび上がる主体的母性として周りの人間が描かれていて、一方檀ふみはより掛かるために娘を欲しているが、どうしようもない母性は存在しなく、別の何かがあれば娘入らない人間として描かれる。これは根本的に娘を愛していないという表現。普通の母親というのは、愛するプロセスを母体で育むものなのだ。しかし自分の体で育てた子供を持たない檀ふみにはそれがない。つまりこのドラマは、母体を通して子供と愛を育めなかった人間が、偽りであっても子供との愛を再帰的に育めるかの実験と言える。
第三話、社会から逸脱した女性だけの宗教団体に、檀ふみは逃げこむ。しかしそこに順応する余り、規範に囚われる矛盾に陥る。逃げたのは社会というよりも、子供を奪った不倫相手の家庭や警察・法律で、それも象徴としての社会ではあるが、女だけのアジールが社会から隔絶されているから心地いいのではなく、捕まらないのが好都合なだけの筈。つまり社会のルールにおいて檀ふみは犯罪者なので、別のコミュニティに参加してもそこにもルールが有る以上、別の社会である事に変わりはなく、そのルールによって罪が無いかのように見えたとしても、大きい枠の中の小さい枠である以上、ままごと遊びと言われても仕方がないのだ。そう、前述したように檀ふみは、ままごと遊びを通して、再帰的に母性を獲得する存在なのだ。今の所嘘にまみれた母性は、何処にいても嘘にまみれた母性のままだ。偽りの娘に寄りかかり子供の産めない自分から目をそらしているウチは変わらないだろう。
神秘的な宇宙理解をしがちな出産(自然分娩の俗説など)を、客観的で見えやすい出産として外部に開かれた理解を描けたらそれはそれで素晴らしい。産んでも居ない子どもが可愛いと分かる筈が無い。とか体を痛めない男性視点としか思えない。もし本当に母性が外部化できたら、母親だけが持ちえた特権の外部化でもあるんだけど、逆に体を痛めて育まれる母性はその家政婦としての母親に耐えられるのだろうか。
mother。
プロデューサーが昔やってたアイシテル〜海容〜とか、脚本家が昔やってたわたしたちの教科書とか、いいんだけどマジメで苦手だったんだが、冒頭10分これはいい。死んだアヒルに手紙書いても読めないじゃんっていう子供に、回りの子どもが意地悪可哀想っていうシーンでつかまれました。尾野真千子の恋人、あれスパイダーオルフェノクかっ!?全然わからんかったぜ。倉科カナとか尾野真千子とか、オイシイところ大投入だな。尾野真千子が若い頃の檀ふみに見えて、高畑淳子が出てきた時点で、八日目の蝉とmotherの世界がぐるぐる回ってわけわかんなくなってきた。このドラマも八日目の蝉と同じく、自分の母体を通っていない子供に母性が生まれるかを描く、母性の外部化をテーマにしたドラマになりそうね。松雪泰子好きなんだけど演技が思わせぶり過ぎるなー、あと台詞がザンネンダナー。でもイイハナシダナー。
前のクール、まっすぐな男や曲げられない女で前景化した母性の問題が、次のクールですかさずMotherや八日目の蝉といったドラマの俎上に上がる。こういった身軽さは映画じゃ味わえない良さ。ある意味ドラマが期待されていないから身軽だとも言えるんだろうけど。これ、ドラマ作ってる人がこのドラマ見て直ぐ作るって身軽さじゃなくて、社会に対応する身軽さね。それをダイレクトにそのまま表現する為、分かりきってることを語るんじゃなくて、答えが出なくてもいいから兎に角やるっていうメディア。ドラマは面白い。
プロゴルファー花。これは…何も言わずにスルーした方がいいのかな…
警部補 矢部謙三。むむ…TRICK始めて見たんだけども。これはこれでいいのだろうか
三代目明智小五郎。トボけた大人と、しっかり者の女子高生の組み合わせは、ケータイ刑事 銭形シリーズか、仮面ライダーシリーズか。はたまたトリックか。それにしても小池里奈は一生ジュニアアイドルなんじゃないか、ロリぃよロリぃ