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小説が見える人と、見えない人


http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20090805


 ↑まずは、上を読んでね


昔から小説のこういう所が苦手だったんだよね。
こういった表現の一つ一つが、これは本だということを主張してくる感じ。
おっさんの感じというか。
情景描写が細かいほど、喩えとか軽口が軽妙なほど、
本と僕の距離が離れてくイメージがある。


これは完全に僕個人の話なんだけど。
本を読んでいる時、
本と、読んでいる僕の頭の斜め上くらいに、
黒い四角い画面が浮いていて、
そこに断片的に、小説内のエピソードが映像化されたり
されなかったりする感覚があって。
それは、情景描写とか置き換えとか
上手い事言ってる感のある喩えとか
軽妙な口調のような、小説的な表現を読んでいる時、
その黒い四角い画面がモノクロになったり、
酷いときにはその枠が小さくなって、
すごく視界が狭くなったような気持ちになるんですね。


だから僕には、面白い小説やつまらない小説とは別に、
見える小説と見えない小説っていうカテゴリーがあるわけ。
で、多分なんだけど
僕より若い子がもし本を読まないのだとしたら、
そういった部分が変わらないと、読まない…読めないと思う。
見える小説、見えない小説って言うのは
端的に
読める小説と読めない小説として、
最初の十数ページだけ読んで、
なんかわかんなそうな雰囲気や、するする読めない感じで、
結局一生読まれないんじゃないかな。
もうちょい読んでくれれば、みんな読めると思うんだけど。
その前に挫折させちゃうんだよね、きっと。


これはリテラシー[文字通り識字能力]の問題で、
小説もテレビ文化の亜流なんだよ
 (僕の黒い四角のイメージもそういうことなんだと思う)
ケータイ小説が読めて、文庫小説が読めないのだとしたら、
読み手が、テレビ的なヴィジュアライズを
イメージ出来てるか否かだと思う。
ケータイ小説って文章が稚拙で、展開がありきたりで、情景描写が無くて、
私とあなたの内面しか出てこないみたいなイメージがあると思うんだけど。
ヴィジュアライズの手軽で安易な想起に関しては、
「読める」ケータイ小説の方が、「読めない」小説よりも、
まず読む事が出来るという時点で、勝っている部分なんじゃないかな。
 勝ち負けとかじゃ、ないんだけどさ
それは、小説とは言わないかもしれないし、
別に読み方なんで、なんでもいいんだけど
本の内容を変えずに、
普通の小説と、テレビ文化の亜流としての小説の両方を売って
売り上げや、どの年代の人間が読んでいるかとか調べたら
どうなるのかすごい興味ある。
それって、小説とは全く別のものなのかも。
だって僕にとっては、
事細かに上手い事、情景描写が演出されていれば
見えるのかって言ったら
それとこれって関係ないんだもん。


なんかこういう感じって、本を読んでいる間は、
 あー僕より頭がよい大人の人たちが
 ふむふむ言って読むもので
 僕はちょっと背伸びしているから
 なんか読めないんだなぁ。
なんて思っちゃったりするんですよね。
なんか勿体無い。
誰か、僕も読めるメディアで教えて!伝えて!
って感じで。


あのーテレビ局の事情とか、
映画界とかよく知らないけど、
漫画とか小説原作のドラマとか映画って、
本読むのはめんどくさいけど
知りたい欲求が眠ってる
ってことなのかなーとか思いました。
特にテレビとかスクリーンで
ヴィジュアル化して見せてもらうと
 文字にとっての演出
 映像にとっての演出
っていう形で明文化されるんだから
物語と演出を切り離して考えるやり方が
購買意欲として成立するんじゃないかな。