国も時代も違えども非モテは非モテ

さっき1999年に収録された
KLEENEX GIRL WONDERのインタビュー読んでたらさ
コロンバインの銃乱射事件と、
Marilyn Mansonについて答えててさ
それがまるで、ここ数年の非モテ論壇みたいで面白かったんだ。

体育会系の子が威張ってて/文化系は萎縮してる、っていうのは確かに多少はあるけど、僕みたいな(文化系)のも充分楽しかった。楽しむ方法を知っていた。どんな境遇でも楽しむ方法をさえ見つければいい。僕にもフットボール選手の友達もいたしみんないいやつだったよ。彼等と知的好奇心を共有しようとは思わなかったし(笑)だから、映画で描かれるハイスクールは誇張されてるね。くっきりと分かれるものじゃなくて、実際は和気藹々としたモンだったんだ。

彼等は(銃乱射犯人)多分、注目をあびたかったんだろうな。人をアッと言わせたいけど、頭が足りなくて。何かに対する怒りを抱えていた。銃を手に入れるのは簡単だ。そして深く考えずに、手っ取り早くインパクトを与えようって思えば幾らでも出来る。聞いていた音楽のせいにしたがるメディアもおかしかったな。謎めいた犯人像を作り上げたり、計算高い暗殺者のようなイメージが描かれたけれど、実際は二人の低脳に過ぎなかった訳じゃん(笑)それを、ヒーローか化物かのように報道したんだ。犯人達のように引き籠るようなタイプ奴なら何人だって知ってるけど、そいつ等はあんなことしない。知り合えばごく普通の奴だ。でも、一番の理由はわがままだよね。他の国にも構って貰えない子供はいるけど、銃を乱射したりはしない。でも、アメリカでは周りに無視され続けてきた子が、フットボール選手なんかが、ちやほやされるのを見て、自分の境遇の差にどうしていいか分からなくなって。ってパターンが多いんだ。銃の乱射はしなくてもね。

マリリンマンソンは、『世界を憎め、自分の人生を生きろ』って言って納得させるんだろうけど、僕は世界の存在を認めてる。世界を一時的に無視する事が出来ても、生きていくには折り合いをつけなければいけない。自分の行動が他人にどういう影響を与えるかを考えながら。そういう面で、マリリンマンソンの音楽って、僕にはとても利己的に映るんだ。僕の音楽は、自分ばっかりじゃ駄目だ。って事実を受け入れていると思う。何か気に障る事があっても、他にもっと嬉しい事があれば気にならない。ハッピーになれることに集中すれば、嫌な事は忘れられる。ただし、後で必ず現実が待っている。だから、世界を完全に忘れる事は無理なんだ。一端止めて他の事をした後で戻ってやり直すなんて出来ない。残念ながらそういうことになっているらしい(笑)

結果は酷い代物になるかもしれないけど、やってみるだけの価値はあると思ってる。扱き下ろされてもかまわない。やらないよりはやった方がいい、って気持ちでいる。

コレが約7年前の、19歳やそこ等のミュージシャンから見るアメリカ。
あんま変わってないやね日本も。
俺もやらないよりは、やった方がいいと思ってる。



童貞スピリット溢れる、KLEENEX GIRL WONDERことグレアム・スミス君。