とあるドラマ


緊張を強いるときに髪を振りほどいたり、
重要な台詞にデカイ音で音楽被せたり、
演出がみんな大好きファッキン邦画パターンでした。
テーマを延々語りだしたり、
設定の為だけにテロリストだしたり、
脚本はドラマみたいでした。
ドラマっていつからこんなに、
当たり前のように
ペラペラお喋りになったんだろ。
そこに緊張感は全く無い。
緊張と弛緩とか、空気を撮るとかって今や昔。
恋愛とかトレンディに反目してた奴らに
バブル期とどっちがマシ?
って一人ひとりに聞いてみたい。
あの頃は恋人、今はお金。
お前の利益を寄越せって言ってるだけ。
ホントくだらない。
こういう奴らはシカトしていいけど、
これをさして、
このドラマについてアレコレディスっても仕方ない。
緊張感の無い演出や
作文のような脚本が、何故生まれるのか。
こうも大量に生まれると言うことは
個人や特定の作品に附される現象でないことは明らか。
何らかの調整の結果であったり、
企画会議システムの悪路であったり
已むを得ず、そう成っていると考えるのが妥当。
特定の事務所や、原作モノを
その根拠にする
調整の効かない答えにたどり着いても
全然面白くないし。
システムがバグってるなら
そうならないシステムで
プログラムを走らせればいい。
つまりいいモノがあれば、
そのシステムを流用出来る範囲で
流用していくことは出来ないのか。
って話にならないとダメだと思う。