白い春&ディケイドで見えてくるルールが変わった後の世界


今更かもしれないが、白い春のおかしさの類いが分かった。
それは全く別の異なったドラマに出てる人物達が、
ドラマといった場を用意され
各々が各々のドラマのルールで
 (この場合佇まいや空気が一番敏感に見える筈だ
自由に生活をしていることから生まれる違和感だ。


漫画で言うなら、ドラえもん島耕作が、
NANAに花の応援団が、男塾にフリテンくんが出てくるようなもので、
それがあのよく分かんないグルーヴの正体になっている。


また用意されたドラマ内には、
その各々が元々いた(世界に似た)セカイが
さらに小さいドラマとして配置され
その世界の住人達がお互いのセカイに
自由に出入る事によって齟齬が生まれる。
そしてその事に主人公は苦悩する。


例えば昨日の話では、
ありえたかもしれないもう一人の自分といった妄想が、
お金持ちではなく、普通の日常であった。という
現代らしいモチーフがあったのだが、
その光景は、まるで池上遼一のキャラクターが
さくらももこのセカイで苦悩してるようだった(?
これは悪夢かごっつかでしか見れなかった類の、ヴィジュアルイメージだ。


この時に主人公が描いたもう一人の自分とは
自分の元々いたセカイのルールにおける
アガリのイメージだったはずだ。
しかし、暫く刑務所にいて出てきたら
"セカイのルールは変わってしまっていた"
もうあのセカイにおけるアガリを
このセカイで叶える事は不可能なんじゃないか
そもそもこのセカイでは俺の世界のルールが通用しない
と、主人公は絶望にも似た感情を覚える。
そして自分のいたセカイが張りぼてだった事に苦悩する。
その上で、ここのルールに順応しなくてはいけないのだ。
もう今までいたセカイで絶対的だった貯金は無い。
貨幣そのものが変わってしまったようなものだ。
しかも、借金だけは消えてくれない。
そこで、そんな時でも消えない貯金とは?
ということと向き合う事になるわけだ。


ここまで読んで、一部の特撮好きは気付いたかもしれない
これは今年の仮面ライダーである
ディケイドで表されている世界ととてもよく似ている。
ディケイドでも白い春でも、主人公は複数のルールを生きている
それは特権的で、神か悪魔になれる切符のようなものだ。
あるものはその特権的立場から
当たり前すぎて飛び越えられない、その世界の住人達を尻目に
まるで反則に見える力を酷使する
あるものは、今までのルールが通用しない事に怯えながらも
なんでこんな簡単なルールに縛られてるの?
と軽々とその境界線を渡る。


しかし今普通に生活を送っている僕らにとって
そのアングルは特権的でない、日常的目線だ。*1
もはや島宇宙内でまったり暮らす革命などありえない。
複数のトライブを俯瞰して見る目はデフォルト。
おたくがどうした、クラブカルチャーがどうしたなんて
だから何なんだろう?
このセカイの誰もが、複数のトライブをミクスチャーし
ルールをブレイクスルーしようとする
ルールプランナーのような形で儲けるチャンス。
それはとても今的で限定的な、時が過ぎると
今のセカイに慣れてしまい俯瞰する目が見えなくなってしまう
期間限定の神様と言える(やおよろず


最近ずっと見逃してた
東京カワイイTVをまとめ見していたり
津田大介さんのついったーを見ていたり
そんな生活なのでついつい発想がそっちにいってしまうけど
こりゃ白い春は関係ないかもな。

*1:政界のがらがらぽんって物言いも、小沢辞任、鳩山界王拳っていう時期で凄いリアリティが