性教育の時間
こどものじかん。何度も言っていますが、このアニメは幼児の体に商品価値があると言う事を前提にしている。更に自分の価値に本人が気がついていると言う事が、しれっと行われている。これはある一定の事実と共に、恥ずかしいものでも在る為、具象化は難しいと思われていたのだけれど、このアニメにおいてはスラップスティックコメディとしてその価値を遺憾なく発揮する。
その一方で、この概念がいずれどこまでいけるのかという事について考えてみたいのだが。例えば、コンビニで10歳前後の幼児が水着で写っている DVDを30過ぎのおっさんが野面で買っても定員のギャルが眉一つ動かさずに、バーコードを打つような世の中になった時、そのおっさんの衝動(?)は本当に完結するのだろうか。これは、俗に言われる犯罪の抑制としての供給の是非の話だ。過剰供給の齎す犯罪。
私は、世の中のロリコンの大半…いや全員が、その欲に罪悪感を感じていると考えている。その為、こういった行為を恥ずかしいものとして鑑賞していると思われ、恥ずかしい為に興奮もするのだと思うのです。つまり上記したような世界では、ロリコンの欲求は解消されないし犯罪の抑制にはならない。ちょっと裏の路地に入ったり、普段は入り辛いようなゾーンに入り込んだり、通販で届けてもらいつつ騙されたり、といった行為をも含めてこそのロリコンなのではないかと思うのです。
つまりこのアニメの前提はオーヴァーグラウンドに上がった途端に、無価値になってしまう(いや価値の対象が変わる)。また、それをシリアスに取り上げる事で、居た堪れない感情にも襲われる事だろう。そしてこれは、数多くのロリコンではない大人たちが、ただ圧力をかけていればどうにかなるものでもなく。例えば今、法律で未成年による水着DVDの規制といったものがあるが、規制した所で子供の肉体に一度ついた価値は下がらない。寧ろ上がるだろう。そしてそれをTVのブラウン管で映し出すと言う事は、広告にもなっているという事。つまりロリコンではない男性及び、女性のほぼ全員が自分の子供に対する不安感を感じるときに規制は正しい対処ではない。本来ならばその現実に向き合わなくてはならない筈だ。幼児の体に性的価値があり、それを求める人が確実に存在し、その対象である我が子も自分の価値に気がついていると。
それは発想を変えれば、武器にもなると言う事だ。例えば、君が道を歩いていたら、急にすれ違った小学生が泣き出して、大きい声でこのお兄ちゃんに乱暴された。と言われたらどうなるだろう。間違いなく、ドンだけ弁解したところで、君の人生に黒い染みを残す事になるだろう。例えば電車に乗っていて、急に女子学生に手を捕まれ、痴漢されたと言われたら。例えば警察を偽った男性から、幼児を暴行した犯人として出頭を求められたら。例えば…
十歳にも満たないというその年齢にはショックをどうしてもうけるが、それはブルセラ、援助交際の時代の問題だった。歳は違えど、唾液や吐瀉物までが売り買いされていたとも聞く。なぜなら、その概念はよりアブノーマルで、アンダーグラウンドでなければいけない為に加速度を増して、法や倫理を犯す事が目的化していくものだから。その先に幼児ポルノが脚光を浴びるのは、当然だと言える。
大人の側が出来る対処は一人一人と向き合う事という局所的なものになってしまう、そして(親や先生ではなく)第三者が、子供に知恵を与える事(自分には性的価値があり、それは武器にもなるし、被害を受ける可能性にもなる)。また上記した事と繰り返しにもなるのだが、ロリコンはその対象の過激化を何故求めるかというと、対象がポピュラーになる為で、本来は、その対象を獲得するまでの困難さや背徳感を興奮の材料とするのだから、過激化なんてしなくても、不安定な環境と、安定した怪しさを供給開発すればいい。例にすれば、アキハバラがオタクの街になんてならずに、『実は』オタクの街であったうちに、担っていたものは、今はそぎ落とされている。好事家の嗜好としては無価値だろう。この例が現しているものはそれだけではなく、それを隠し続ける事は不可能だと言う事。転がる石に苔は生えない。
ジャンルを横断できる強靭さがあればいいのだが、それを持たない人にとって…、具体的に言えば、ロリコンDVDを見たい人が、近所のTUTAYAでは置いていない為に、遠出して歌舞伎町のビルの2Fの一室で買うしかなくて。でもこないだその店が摘発されて無くなってた。ということだろうか。アレ?今もそう?
それなら、ムキになって規制しろ!いや、表現の自由だ!なんて言ってる人達は余計な事?でもこういうやり方でしか出来ない状況になっているんだから、このアニメがあるのだろう。でもってそれってエロ業界なの?寧ろ芸能界?漫画界?アニメ界?
ホントはロリだけの人なんて珍しくて、ロリも見るけど看護婦ものも見るし、お姉さんに逆レイプされるのだって好き。みたいな、何だって消費するものなんじゃないかという気がする。そしてそのプライオリティは上がっているのかもしれない。緩やかに新しいジャンルとして、すんなり並んでいるくらい当然のものとしてロリが消費されるようになる頃までには、このような現実も受け入れる準備くらいはしていないと、子供なんて作れないと嘆く声も聞こえてくる。というか、今の現状に子供を生むのは子供に申し訳なさ過ぎて出来ないのかもしれない。
Perfume×チャットモンチーVSジュニアアイドル
掟 清楚っていうのは単純に、セクシャルな匂いを感じさせなければそれでいいということでもありますよね。じゃあ、セクシャル以外の何を匂わせるんだってことです。しかも、年齢が重なってくると、成長の証として性を売り物にしなきゃいけなくなっちゃうんですね。
宇多丸 それがおじさん発想の限界ですよね。<文章を略しています>
>掟 だからね、仮に Perfumeも彼氏ができたりとか、そういうことが写真週刊誌とかに取り上げられたりしたときに、もしもファンが揺るがなかったら、これは本当に本物だという言い切りもできるはずです。
このアイドルが担う清楚というもので、自分はロリコンの話をしました。上記した内容は、幼児水着DVDにも、清楚=ピュアネスの部分が求められている筈、という思いが多少あるのですが、もうすでに、そうではないのかもしれません。おじさんの発想で作られているであろうDVDも、受け手には独自の意味があるという。
しかし、ジュニアアイドルの場合、清楚なんて嘘だ。という気分は送り手というか、少女本体に握られているっていう構図です。成長の証としての性は、すでにこの時点で抱えている。AV的なセクシャリティを。
それならそれで、アングラで数百枚売れている程度のロリコンなら、面白いと思うのですが。こどものじかんを見るにつけ、そういう状況でもない。もし、セクシャル以外の匂いを売るのが今後のアイドル像だとしたら、 AVとアイドルの間に居るロリ幼児達は、何を売っているのだろうか。なにを求められているのだろうか。一見、清楚とセクシャリティの両方に見えるが、それは背負い過ぎだろう。もしや覗き見だろうか。
こう言った内容は、今まで自分が考えてきたPerfumeの消費構造の部分に接触するのですが。簡単に言えば、PerfumeとSEXしたいんじゃないの?または、二次創作的な、Perfumeっていう記号とSEXしたいんじゃないの?って事で。『宇多丸×掟ポルシェ対談』ではそうではないと仰っていますよね。しかし自分は、ここで語られているようなアイドルマニア層じゃない人達が危ないと考えている。もちろん宇多丸×掟を、過去の杉作J太郎だと切って捨てる事も可能ですが(モー娘。全盛の頃、加護ちゃんとSEXは別。考えるのもおぞましいといっていたJさんが、数年たちモー娘。もアレな感じになってきていた時に言った、そりゃ加護ちゃんとSEXしたいですよ。問題)。
自分が気にしているのは、
から流れてきた人や、『QUICK JAPAN』的な消費者層の事で、まさにこの原稿を企画した方が
>言っておきますが、私はアイドルマニアではありません。
あさってPerfume登場!今夜の「HEY!HEY!HEY!」も要チェック!
と言う様な部分にそれが表れていると思います。
それは現在のアイドル論においての、もう一つの関心対象物チャットモンチーの構図です。チャットモンチーとSEXしたいんでしょ?泣いているチャットモンチーを分かってあげる俺が慰めてあげたいんでしょ?という。
Perfumeに彼氏ができても揺るがないのならば、全然俺は楽しめますし、『宇多丸×掟ポルシェ対談』を読んでいると、良い売れ方だとも思います。しかし、「揺らぐだろ!」と、思ってしまう。アイドルファンが揺らがなくても、サブカル野郎達が。
ロキノンジャパン等で(資料があって、確実な裏が取れている訳ではないですけど)モー娘。は音楽的に正しい、とか言ってた奴が、今のメンバーどんだけ言えるんだ?見たいな事ですかね。
サブカルたちはロリコンDVDを見ないでしょうが(んなこたぁーないかもしんないけど)、その代わりに、Perfumeやチャットモンチーを見て、そこの部分を消費しているように見えてしまう。そこに違和感がある。
別のジャンルがあるのだから、恥ずかしがってないで、そっちで消費しろと。
つーかチャットモンチーが水着写真集だしゃいいのかな。
こりゃ丸く収まる。売れる!
(ブックレットか、初回限定でつける写真集に、数枚水着写真があるとか、装丁はサブカルの恥にならないようにするとか、おしゃれなものの延長線上にたまたまそれがあるって程度か)
最近見た働きマン風にまとめ。
ハロモニ関連の相次ぐスキャンダルや不祥事。エリカ様の不可解な涙。本当に『別に』としか答えようの無い映画にも、ニコニコ笑顔で対応する意外は、認めない業界の体質。また、閉ざされた世界ゆえスキャンダルも無く、セクシャリティを表面から消し去った声優業界。情報不足、情報管理によって処女性を保持していた声優までもが、枕営業事件で爆発した現在、Perfume×チャットモンチー的な存在に群がる構図は、ひと気も無ければ観光名所でもない小島に観光客が、押し寄せている状態に似ている。私は、この状況に危機感を感じざるおえない。ジュニアアイドルによる水着DVDは、こういった処女幻想をぶっ壊すショック療法なのかもしれない。