アニメと暴力
大江戸といい、グレンといい
「誰かの為になんて、いい訳だ。やりたいからヤルんだ」
ってのを言っていて。
俗に言うDQNによる"無責任に"「やりたいからヤル」
っていう曲解(言い訳としての効力)をさせずに
(曲解とは言うもののそういった言葉も含んでいる事実を)
共感させるには、どうするんだろうか。
大江戸の花火がミサイルになる。
ってセクシーボイスで、そんな話しやってましたよね。
(数学の中に、爆弾の作り方が潜んでいる)
やりたいから、やっている事が
人を傷つける力を持つことだって当然あります。
それでは無責任である為、やりたい事を押し通すには、
責任を取る覚悟を持とう。
という話を含んでいるのだと思います。
それには、勿論インターネットで迂闊にやっている事にも
もっと責任を持つという事でもあるわけで
ニコ動やYouTubeが、新しい想像力を持ちながら
著作権を侵害しているなんてのも
一番分かりやすい例では無いでしょうか。
また、誰かの責任にして安心する
といった危険性も感じます。
例えば、斧で親を殺す感情を誘発するアニメがあるならば
その責任は誰が負うのでしょうか。
多くのおたくが『俺は分かってみてるからOK』
という言葉を口にするでしょうし
『アイツのせいで、アニメがヤバイとか言われる』と
殺人犯に責任を被ってもらって
逆説的に切れる事で安心(自分の安全を担保)するでしょう。
でも俺は、そういった作品に一定の共感を覚える時に
罪悪感も同時に存在していると思いますし
作者もファンも、間違いを犯してしまった人間と
何かを共有している(た)と少なからず思うし。
ならば、あっち側に行ってしまった人間を
みんなで引き受ける可能性を孕んでいない限り、
裏切り・切り捨てという行為をその人に強いているのかもしれず
それならば、その人はナイフを握るでしょう。
*1
教室の隅でひぐらしを読んで俯いている奴に
何か出来る事があるのだろうか。
いや、危険性と目が合っているからこそ
あえて、ディスってる人だって居るでしょうし
そういった言い訳もありえます。
しかし、そこから逃げてしまうと
それと共感回路を共有した自分は救済されないし
せめて、「自分の代わりに人を殺した」
というようなナイーヴさを持ち合わせていないのなら
最初に書いたようなDQNによる"無責任な"
『やりたいからヤル』でしかないと思います。
また、ツンデレだ!ヤンデレだ…
というような細分化ジャンルは
同時にレッテルや差別感情でもあり
それがあって当然だと、普通に言える神経は
自分には無神経に見えます。
ツンデレやヤンデレに
笑ったり萌えたりディスったりしてるのと
オタク=キモイと言う事に、何の違いがあるのでしょうか?
そう言う類の一言で言い切れる楽しさが
エヴァや自殺マニュアルの世代に
世界が幼稚になったと多分思われていて。
必ずしもそういうことではないと思うのですが
それでも、ジャンル化して理解して
「俺はわかってる」と束の間の安心をして。
また何かが起きたら、嘘をつき、人を裏切り、
別の何かを事件がおきるまで貪るのでしょう。
今、エヴァをやったら萌えとかに違和感持ってる
世代の人達が、救済されたがる筈。
というのに、そのまんまジャストに乗っかって。
「分かってるからOK」
チャーリーだってお祭りとして楽しんでOKじゃんとか言ってるし。
「だから大丈夫」
言い訳を考えるのは、チャーリーに任せる。
ホントにそれでいいのかな?
*1:以前、宮崎勤事件の時におたくが、俺はアイツとは違う俺はオタクだ。と叫んだという話をしましたhttp://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20051113/p2 http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20061012/1160615878