セクシーボイス&ロボ 最終話

木皿さんの話は、何度も見てきているので流石に世界観というか、メッセージは、見えちゃってる。多分これ、見る人によって引っかかる場所って違うんでしょうね。自分の中の物語に変換して消化している感じがします。


俺の場合は、嘘と本当の話って感じです。良い嘘と悪い嘘って分けられなくて、どう分けるのかは人によって違う。でも、それをハッキリ表現するのは難しい(恐い)。でも言える事で世界が変わる。変わる事が、良いか悪いかを判断するのもまた人によって違う。その時に、最初の一歩は勇気がいるので(ソーシャル的な正誤を問うても、問わずとも。ここの話は、今流行りの決断主義の話ですね)、「世界」の力を借りたっていいじゃんか。(これは現時点での俺の言い回しで、人によって違うと思う。例えば「物語」と言う人もいると思うし、この文章を書き始めの僕ならカッコ内に「嘘」って書いたと思う。カタカナのセカイかどうかは、よく分かりません)。
俺の言葉で言う「世界」を信じるってのも、自分が考えてたより軽くて「信じなきゃ!」ってより、気がついたら信じちゃってたって感じなのかな。思いもよらない部分で。


見えなくなる事を、良い事とも悪い事とも描かなかったと思うんだけど、ちょっとノスタルジーというか、見えなくなることの切なさが「見えなくなる=悪い事」って思っちゃう所なんだろうな。(ネットで出来る範囲で、悪い嘘の価値を高める。っていうのは結構勇気がいる。mixiなら出来るけど、はてなじゃ無理とかもあると思う。価値を高めるというより、良い嘘との格差を是正するって事なんだけど)


しがみ付いて、依存して、形を歪めるよりは、見えなくなる事を肯定したいけど、それにはノスタルジーのような切なさを伴うから、誰かじゃなくて「世界」の力を借りてもいいんだよ。て事が、現時点でのまとめです。
多分、明日はまた違う感想だと思う。


勿論、上記した感想は一つの物語で、木皿さんの作品て、見ているだけで、それ以外にも物語が沢山見つかると思います。自分の好きな「世界」を信じて下さいね(逆に言うと、しがみ付いて、依存して、形を歪められたくないという事です)。