一連のヴィジュアル語り

僕は『昔はよかった』って話はしたくなかったので、共有し得るモノ、例えばデータとして読み解けるものを使って書いていたんだけど(逆説的に、自分の経験した話は為るべく排除した。というか、世代的に経験できる訳が無い時代の話ばかりでしたけど)。結局、読んでくれているのは、その時代を振り返る事の出来る人ばかりだった印象で少し残念。けどまだまだ、面白い人は沢山いますね。高校生とか現役バンギャルに届けって思いだったんだけど、それには、現役のバンドの話を織り交ぜなきゃ読んでくれないわな、そら。


んで、そんなに若いバンドじゃないけど、ムックの話。

サイケデリックアナライシス
サイケデリックアナライシス

サイケデリックアナライシス聞いたんですが。いやもう充分中堅バンドだね。全然、昔の曲入ってないし。前のもそうだったけど。これって、服装とか見た目の変化もあるから、ヴィジュアルからの脱皮という文脈だけで切り捨てられがちだけど。んで、勿論その側面は大いにあると思うけれど。一連のヴィジュアル話をした後だと、ちょっと言い方が違う。前にid:Imamuさんと話した事があるけど

肉体性の欠如⇒(男性の身体との齟齬)⇒観念的肉体(ある種精神性)⇒過剰パフォーマンス(退廃・耽美)
死に忘れましたわ - ヴィジュアル系と歪んだ身体感覚 コメント欄

昔のムックって、こういう部分。特にドロドロした感情ってよく煽っていたと思うんだけど。このアルバム聞いた感じだと、今は完全に肉体性を手に入れているんだよね。だから、パフォーマンスが過剰じゃない。というか、音的にはスタジオアルバムよりも、音数が少ないと思うんだけど、凄い厚いというか、そっけないのに情感的で。そう生々しいんだ。ビジュアルの露悪性って逆説で成立してる所があるけど、これはもう順説。ここで重要、というか、客側にとっても重要な事だと思うんだけど、どうやってその<本物>の肉体を手にしたかって事。この問題は、全ての文系男子・女子の命題でもある。
一枚一枚アルバムと方向性や、その後から見える、その先というのを検証してもいいんだけど、どうせまた長くなるから止めて。それはメンバーの年齢やメジャー暦、聞いている音楽の幅といったモノも含めて、時間を経て何を掴んで、何を離したかって事だったと思うんだけど。それって殆ど、大人になるって事の話になんだよね。一連のヴィジュアルの話の時も書いたけど、ヴィジュアルって何度か終りかけてて、その度に延命する代わりに、大人にならなかった。ぐわーっと進んで壁にぶつかると、大抵の場合その壁には<大人>って書いてある。そんでその壁をぶち破っちゃうと、ヴィジュアルじゃなくなっちゃう(し恐い)から、道を戻ったり、あえてヴィジュってみたり、アイロニーで音楽を続けたりするんだよ。だから殆どの脱ヴィジュって、大人になって卒業してるって事だと思うんだ。でもその時に障害になるのが、上記した、歪んだ身体感覚に当る。これはヴィルドゥングスロマンに於ける、通過儀礼だと言えます。よく言われるものだと、父親殺しオイディプスなどが例に上がると思います。これになぞれば、肉体的に勝ってしまった自分と向き合うということですかね。で、歪んだ肉体が、健全な肉体に触れ戸惑う話というので、もう一つ有名な話があります。それは、涼宮ハルヒの憂鬱。第12話のライヴの話なんですが。いつもイライラしている主人公が、ライヴで肉体的感覚を感じ、何か落ち着かないと言う。非現実的目標から→ライヴで感じた肉体感→現実的なラインに、リハビリしていくって話だと、自分は解釈していて。それってのは、ヴィジュアルが脱ヴィジュアルするって事なんじゃまいかと。脱ヴィジュアルって書いたけど、脱オタって事だよね。んでまた、お互いが一緒にするなって言いそうな所がまたいいよね。やっぱ、萌えとヴィジュアル系って繋がってたんだよ。今、別の新たな問題もちょっと出かかったけど、それは別の機会に。