『ひと』にやさしくの『ひと』とは誰か。

次世代Web倫理を有するニューウェーヴ陣は『言葉使いがなってない』。だが、現Web倫理内での『それは、あなたのやり方なんだから、とやかく言うつもりは無い』といった姿勢の上で、これは切り離しては行けない様に思う。
現Web倫理上では、必要無いと感じるのかもしれないが、ニューウェーヴ相手に、私信と公言を分ける事は出来ない。だって『ごめんなさい』や『間違えました』が言えないんだもの。そして『ごめんなさい』と言う変わりに閉鎖してしまう。これは厳しい*1。もしかすると、Web上で好き勝手な事を言う変わりに、被害を蒙るリスクを払うつもりはないのだろうか。俺がこう書いている事も、いつか急に裁判沙汰になる可能性もあるのだが。
そして、自分の言わせたい言葉に要約して*2「○か×かのどちらかと言った話しでしょう」と議論を矮小化し*3、自分にとって重要な話(個人的主題)を*4展開させ、論理性を排除した感情を込めた感嘆符で呟き、卑下する姿勢がニューウェーヴだとするならば、現Web倫理を有する人格は、真摯な態度が感じられない相手だと、ネタ→メタ視してしまう。だがニューウェーヴには、それが恣意的態度に見えてしまう。
また、言わせたい言葉が出た後は、「あなたがどう言う人間か分かりました」と、納得する。これが、議論ではなく自慰だと感じるのか否か。自慰で何が悪いと言えないのか否か。卑猥な話、ニューウェーヴの自慰倫理*5に、SEXの理屈*6を持ってきても話は噛み合わない。一見似てるから、間違えがちだけど、根本的に議論でしたい欲求が噛み合っていない。
Web上の揉め事時に、大抵思うのだが「こういう考え方があっても良いじゃないか」という主張の中に「そういう考え方があってはいけない。という考え方もあっても良いじゃないか」が含まれていない事に違和感を憶える*7マイノリティ的立場からの言説が、こういったケースでリアリティを帯びる事にも違和感を憶える。例えば、「いじめられた方にも罪は在る」論の話のときに、人を虐めないと心が不安定になってしまう人、年頃。という話が完全に黙殺される事のような*8。違うか。
それにしても、これだと『最近の若者は、言葉使いがなってない』ってだけの話しになっちゃうよな。マジで2chがデフォルトの時代が目の前に広がってるんだよな。


前のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20060331/p3)に
id:mojimoji氏とid:otsune氏の話を合わせた、3対3と仮定するならば*9、自分とだけ戦うニューウェーヴ勢は一生、自分の中で勝敗が決まるので。いつまでも、文脈的に負けた事にはならない。また、現Web倫理勢には、自分と戦っている相手と相対する為、手応えが無くいつまでも、話しが前に進んでいない様に思え文脈的には『飽きれる』といった恣意的と取られる態度に終始するのだが実績と信頼さえ得ていれば、内在する第三者の感情に満足するだろう。だがこのままだと、いつか数が逆転する時が来る。きっといつかパワーバランスの変わる時が来る。だからこそ議論をしているのだろうが、少なくとも今までのやり方では、ニューウェーヴに言葉は届きませんよ。(自分が)納得するまで喧嘩したいだけの、ガラッパチのようですので*10。ならば、そういったWeb倫理感を有した存在と退治した場合にそなえ、どういった存在なのかをより明確に分析する文章が待たれている様に思う。が、俺には何にも思いつかない。
聖☆おじさん化くらいしか。

*1:ウェブという場所では、自分の心の平安も確かに大事だが、相手や観客の心の平安にはケアをしてくれないものなのだろうか

*2:多分、無意識に

*3:個人的には、議論は展開するものだと思う

*4:自分に都合の良い事だとは言わないだろう

*5:自分の理屈をどこまで展開させるか

*6:お互いが過去養って来た理論を、どこまで摺り寄せるか

*7:言葉遊びじゃないですよ

*8:人を傷つけたい欲求を止められなくて、自傷行為を繰り返す人は実際に存在します。それに対してかまって君だから。と見捨てる訳にはいかないでしょう

*9:こういう言い方は嫌でしょうが

*10:或いは、酒飲み船乗りの喧嘩早さの、バーチャルリアリティといったクリシェ