かっこ悪いことはなんてかっこ悪いんだろう
「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」
と言う事は
「かっこ悪いことはなんてかっこいいんだろう」
という事ではない。
誤解を恐れずに書くが、
悪しき80年代に青春を送ってしまった世代には
ポストモダニズム下の呪縛から、逃れられていない。
僕はと言えば、80年代に間に合わなかった事を悔やんで、
90年代に青春を送った世代だ。
「全ては為されてしまった」
と言う事は、僕等の世代の共通認識ではなく
80年代の若者の共通認識だった様に思う。
そして、其れにおいて実際に事が為される事とは
関係無く、直接的に繋がらない。
その事を膨大で、圧倒的な質量で流した体験が
反転された価値判断として、洗練されていく。
という、一見アンビバレンツな関係が成立しており。
そこに疑問を抱く事は、野暮だとされてきた。
しかしそれだけが、何が素晴らしくて、何がダメかという事を
分ける為の唯一の方法だと、僕も認めている。
僕等の世代は、そういった時代の空気の下で、敏感に反応し
其れを疑う事から始めないと、いけなくなってしまった。
ホント悪しき時代だ。
逆の弊害として、90年代組とは、間をすっ飛ばした会話は出来ない。
逐一「それってどう言う事」と、いう横槍と確認作業
皆で一緒にじゃないと、前に進めないというか
無駄にファクターが多い事に、イライラさせられる。
疑問は野暮ではなく、問う事は共同作業であり
無知である事を恥じず、美徳は失われてしまった。
そう、僕等の世代はバカなのだ。
続けようと思ったら続く…