アンチクライストマスターノーデッドアーティスト

いちいち、自分に関係無い人の生死に一喜一憂するのは、馬鹿らしいと思った。
俺は、新聞やインターネットで社会欄を見る時
どうしても、そういった自分に関係無いひとの生死の記事から
探して読んでしまう癖がある。
自己確認・現実逃避とでも心が病んでるとでも、何でも勝手に言ってくれ。
俺の中で、人が死ぬことは結構悲しい。何か来るモンがある
とか思ってる節があるからかもしれない。
でも本当は人が死ぬことなど、対して悲しくない。
俺の中の、記憶と思い出と知識と時間がそうさせているだけだ。
それでも自身の身内や、知り合い・一度話した事が在る程度や
読んだ本の中の登場人物、それを書いた作家位、遠くなってもまだ悲しいと思う。
いや、厳密に言うとほぼ全て悲しい。
でも、本当は悲しくなんかない。
コチラ側のポテンシャルの問題だったりする時も在る。
でも、やっぱ抗えないモノに対する死へのイメージは
今からでは、どうしようも無い位悲しい。


「一人は必ず悲しむ人がいる。」
いや、いない。安心しろ
勿論泣く人は、居ると思う。
でもその人は、悲しくて泣いているんじゃない。
本人が、悲しくて泣いていると思っていても
それは厳密には悲しい事ではない。
もし、仮に自分が死んでも悲しくは無い。
もしかすると、切ないとか寂しいとか恐いとか
もっと言えば哀しいとか思うかもしれない
が、悲しくは無い。
君が、存在する以上悲しくは無い。
そして、残念ながら死んでも存在は消えない。
だから、人の死は悲しいものではない。
宗教の話をしてる訳じゃ無いよ


話は前後するが、新聞などの情報源から
情報を摂取する時に、人の生死の記事から読む癖があると言った
その中には、誰か自分の心の近くの人が、事故で死んだりしていないかな?
と思って探している所がある。コレは、誰もが考える事だと思う。
その人に死んで欲しく無いからだろうか?
それとも、死んで欲しいからだろうか?
多分その両方だ
そして、心のどこかで、悲しみたく無いと思っているからだ
中途半端な悲しみなんて、ドブ川に流してしまえ


長くなったから、核心に迫ろう
人は、いつ悲しいと思うのだろうか
それは、生死に直接関わった時だ
人の生き死にから、悲しみを受け取ろうとするのは、その為だし
自分に近い人が、死ぬと悲しみに近い感情になるのはその為だ
自分が、殺した可能性を考えると悲しいからだ
出会った1秒のせいで、死の可能性を孕む事が悲しい
しかし、人は死ぬ
人が、生まれたら死ぬことは当たり前だ
だとしたら、生きている間ずっと悲しくなくちゃイケナイ
だからといって、悲しいという言葉の定義になってしまうのは嫌だが
人はずっと悲しい
だから、悲しいという感情は無い
そして唯一悲しい時は、人の生死に直接かかわってしまう事だ
俺は、男でよかったと思う
SEXが気持ち良いのは、神様の嫉妬だろうか?


とまあ、久しぶりにおセンチになっつぃまったわけだが
俺くらいの頻度で、ネットに関わっている奴なんて
おセンチな部分がでかい奴に決まってる。
そうだ、決まってる!
また明日からは、気持ちを切り替えて、何も考えず
日本に生まれ、生きている事を誰かに感謝しながら
多少の不自由・不平等からは、目をつぶろう