エウ゛ァンゲリオンは、なりたい自分となれない自分の学生生活、といった中高生的リアリティに戦争といった設定を持ち込むことで、大きい物語にコミットするリアリティを描いたとして。今で言うテポドンのメタファーとして、シトというモンスターが自分の(視界の及ぶ)世界に外部から否応無く(受動的に)進入してくるというセカイにとって望まれた背徳感だった。きっと今なら、自分が望んでいないのに、能動的にセカイに進入してしまう、モンスターとして、なりたいがなれない自分の学生生活を破壊する話しの方がリアリティがあるだろうな