許される世界が先にありき。

下北沢*1とか秋葉原*2が、ディズニーランド(夢の国)だった事は
時代が証明した訳だが、土地、場所が抽象化しているのでは無く
言葉が抽象化する事によって、夢の国、足り得ている状況は
動物化したポストモダン>な訳だろうか。
そうすると
<人間の所有する欲望っていうのは輪郭線にしか宿らない>
って所まで、符合しちゃうんだよね。
一体何に、そこまで怯えているのだろうか*3


それが<萌え>だよ。



もう寝よっか?
うん。


Inspire from
http://www.bounce.com/article/article.php/2386

*1:郊外アートスクールのサークル内パラダイス。例:「NANA」「ハチクロ」「のだめ」

*2:説明不要でいいですか?例:「おたく」「コスプレ」

*3:一番ウザイのはさ、そういった状況にグラデーションを付けて貰えないと、素直に没入できない幼児性。お母さんに手を引っ張ってもらって、ホントはみんなと遊びたいのに、ワザとつまんなそうな顔してる子供のような。普通いい大人の歳ならさ、何回も何年もそういう場面を経験してきて、グラデーションは暗黙の了解で省くんだけど<異性を口説く時に、グラデーションをワザワザ作るのは暗黙の了解を逆手にとっているからこそ>。その暗黙の了解が、圧力に感じちゃうんだろうな。分からないから。アホか!分からないということを、分かれ!オタクこそ、分からない事は自己責任の世界だろうが。その癖、ゆったりとオタク化した下北沢・秋葉原<一時期の渋谷・原宿間も>でだけは、許される空気を感じて&作って、異常なルサンチマンを発散する。逆に、ゆったりとしたグラデーションで、コンフューズされていない場、例えば合コン、飲み会では、だだっ子のようになってしまう。楽しくする為のリスクを払わないでいたら、絶対につまらない。面白いという場面は、全員がリスク<罰ゲーム>を共犯するから、楽しい訳だ。それは、出演者だからな訳で、誰だって出演はしたくない。安全な場所にいたい。1人でも観客がいるとそれは、場面じゃなくて、空間になってしまうだろ<場面だから、タイムアウトで解散し、二人のスペースで空間を作るって事>。しかし、1人1人が手を上げ勇気を振り絞ってる時に。そういうの嫌い。無理するのは間違ってる。カッコ悪いことはしたくない。いい大人がそんな事したら、その場にいる人からしたらDQN認定なわけよ。何故かって?それは逆説で説明しよう。楽しさを誰かに保証してもらえる場、それが夢の国なわけだ。じゃあ、誰かって誰だ?そいつがいなくなったら、もう楽しめないのか?否!断じて否!!楽しい場所は、自分で作るんだよ。だって、いつまでも下北も秋葉も許される世界とは限らないよ。練習は幾ら何回やっても練習!!本番を繰り返して、失敗するから成長すんの!まだ…もうちょい練習してから、うぉおい!チャンスは1回!新しいチャンスは、別の場面になっちゃうよ。チャンスを繋げるのは自分だろ?独りモニタを前にスペースを作れる人間が、どうして急に出来なくなっちゃうの?その為に努力をしようという共犯関係が、リスクだろ。インターネットは、正直ディズニーランドを無効化したよね。だから、下北沢も秋葉原も夢の国になったんだからさ。正直、さぁこれで楽しめ!踊れ!抜け!ってのが形骸化されてるのは、ダサいよ。でもそれを、誰にでも強要しちゃいけないよ。上にDQN認定って書いたけど、こういう事。強要されているつもりかもしれないけど、強要しているのは、拒んでいる側な訳。「ここは、俺のプライドを優先させてくれ」っていう、強要なんだよ。だからDQNなのヤクザ・チンピラなの。いくら誰もがインターネットで、個人のスペースで遊べるとは言え、それを前提にしている事はオカシイでしょ。一般社会だけが、世界の人間なんてめちゃくちゃ沢山いるでしょ。社会でめんどう・ウザイ事があっても、ネットで癒される人はいいよ。でもあんたの横に居る誰かは、その場所だけが現実かもしれない訳だろ?その人達は、ダサくて面倒でも、一発勝負で楽しみに来てるんだよ。それを、誰かのプライドを優先でそれを強要されちゃったら、その人はどこに救いを求める訳?今度はこのスペースに強い人間が、緩やかに個人のスペースを浸透させなくて、誰がするんだよ。お前だ!!