When the everyday which isn’t finished finishes

世界は、二極化していて
自分のスタンスを提示しないと、
軟弱モノは、生きにくい・・・
世界は相対化出来る(○○とそれ以外
という前提に立っているからだと思う。
 アインシュタインだっけ?ゴメンね詳しくなくて。
 つーか、関係無い?ま、いいか。
でだ。俺はね、ツッコミ無しに
存在は存在できないと思う訳。
 しかもその存在を、実は全員が
 共有してるんじゃないか?って思うの。
  それは、嘘も本当も等価値で
  そもそもスタンスによって、日によって
  全ての事実も真実も変わって
   そこに理由を求めると
   とても陳腐になるので
   ワザワザ聞くんじゃない。
という意識があるような気がしてさ。
 存在は、存在していなくて
 意識だけが肥大して
 空虚な繰り返しに
 ささやかな幸せを求める事が
 私なりの幸せと感じる。
と、言うような事。


実はコレ、世の中がアニメ化してるって感じない?
 現実⇔虚構の逆転(俗に言う)
 終わらない日常論すね(俗に言う)
学生さんみたいに、昨日と殆ど同じ今日を
生きている人には、とても有効な手段だと思います。
 ちなみに俺もそういうの、好き。
まぁ「サザエさん」「ドラえもん」「うる星やつら
に辺りに顕著ですが。日本独特のカルチャーなんすよ。
まま、知ってる人には繰り返しだろうけどもさ。


あー、続き書きたいけど眠いので明日。