ももクロちゃんとかまってちゃんと怪盗少女と魔法少女 ももクロ編
ももクロとかまってちゃんのライヴを見に
渋谷まで行ってきましたっ
既に何らかしらの方法で見た人には言うまでもないでしょうが
凄かったですっ、二日経っても全然魔法が解けません
元々は多くの方と同じ様に怪盗少女が気になって
どうしてこうなったか分かんないけど
1曲の中に10曲くらいのアイデアが入ってるとか
これだけ異常な曲の後は何しても驚かないと思ってたら
こ、ココナツしか言ってないっ!
次どうなるか考えようとしてた俺バカじゃん!
だのにNAZEかめちゃくちゃアガるっ
んあー女の子が回ってるっ!!
といった衝撃的な出会いはあったのですが
かまってちゃんとの2MANだから観に行った
今見ないと駄目な気がしたのと
二つのエクストリーム表現が同時に見れるっ!お得!
っていう感覚ですよね
アイドルのライブを見るのは、サマソニのPerfume以来というか
正直あれは、場を収める為に殆どの時間を使ってて
将棋倒しの隙間からちらっと見た感じで
ほぼ見たうちに入らないから、
一本のまとまったアイドルのライブを見たのは
生まれて初めてだったのですが
アイドルのライヴはこういう感じか
なんて余裕全然なくて、
全力の六人を只々眺めて、踊って声出して
ポイントポイントでタグを貼るのが精一杯。
総括しろって次元じゃねーぞっ
俺は現場に行かないで語る限界とか、
元気をもらった、とかあんまり好きじゃないし
実感したこともなかったのですが
そういうの、うっちゃられちゃいました
真っ暗な中ズンズンビートが流れてきて、
おっ始まるかって所で
ステージの上から多分しおりんの声で聞こえてきたのは
『今ここにいる皆が歴史の生き証人になるっ☆
私たちが先に倒れるかお前らが先に倒れるか勝負だー☆』
っていう
「どういう感じかなあ」とか準備する前にカマされた
豪ストリームとかで言ってる
アイドル戦国時代をどのグループよりも意識した
ちょっとどうかしてる好戦的なパフォーマンスや
対抗戦での戦い方や目的を自覚してるから軸がぶれない
といった話は、全部終わってから
「(はあ…はあ…)た、確かにっ」と思いましたが、
その場の自分は、雷が落ちた感じがして、
今すぐ走りだして最前に行きたかったです
というか行けなかった後悔が残ります
ももクロちゃんに全部の力を搾り取られて気絶したかった
この後ChaiMaxxに入る前に7曲連続で…
って言ってたらしいんだけど
もう頭に血が登ってたので、
3、4曲目辺りは一曲一曲終わるごとに
鳥肌全部立ったっ!て自分と
楽曲単位で聞いた印象や、PVで見た印象と比較したり
あかりんは勿論
有安としおりんの声も識別できるクサイ(ビシッ
とかしてたんですが
5曲目辺りから終わるごとに
えっMC行かねえっ!どした↑?
って、実際に声が出ちゃった
会場のみんなもどよめいて
何かが起きてる予感に皮膚がゾクゾクして
ホントに歴史の生き証人になるんだって思った。思った
後から考えたら、対ロックバンド対応
異種格闘技戦セットリストなんだなあこれは
一曲一曲何がオカシイか
どこに引っかかるかとか言いたいところですが、
パフォーマンスについて全く冷静じゃない頭で
出来る範囲総括しまう
生のももクロちゃんは画面で見るよりぷりぷりで
楽曲単位でハマらなかった曲も
ダンス込み、彼女たちの体込みだと凄く面白い。
ライヴ前は楽曲によっては
これだけ合いの手自体が楽曲の中に内包されちゃってたら
打つどころかぽいぽいぽぴー出来ないんじゃ
と思ってましたが、預ける所は預け、カマすとこはカマし
それが何でこんなにって位キマる。
練習量も勿論凄まじいんだろうけど、
恐らくこれは音と歌と踊りが
どの程度の時点で纏まってるのか分からないけど
画を前提とした構成を決める時に
行き着くであろう完成形のベクトルが
こちらの想像を上回ってるから完成形が美しいんだと思う。
自分は言っても楽曲ありきの入りでしたが、
(それでもYouTube以降の表現物だと思いますが
楽曲は勿論、
パフォーマンス集団としてのアイドルがどうして面白いかを
彼女たちは文字通り体現してた。
自分たちで楽器も触らないし曲も書かない
イレモノの表現者でしか有り得ないんだから
彼女たちでなければいけない理由なんて無い
と心の何処かで考えていたと思うんですけど
少なくともこの日のライヴにおいて
ももクロちゃんのパフォーマンスはちょう音楽的。
彼女達の体から音楽が出てきて、
それがダンスで表現されてる。
そのダンスの構成は、彼女達固有の
キャラクター的身体から逆算して作られてる。
そうか違うんだ、こう言う事なんだ
だからアイドルは歌って踊るんだって
一滴もお酒飲んでないのに降りてきた。
とかって言葉で言っても
抽象表現に目覚めた何かぽいすけど。
もう文章力が非力なのがもどかしい
俺がなんか言うよりも、
一度落ちてるライヴ動画を見て下さい
そこになんか感じるものがあれば
ライヴを見に行ってもゼッタイ損しない。
最後の走れ!の時には、正直ベタ曲だと思っていたのに
ヤバい俺、中高生の女の子に勇気をもらいかけてる
何この今までのライヴで感じたことのないタイプの感動
という体たらくぷりでして
首までどっぷり魔法に浸かってしまいましたとさ
ねえボクと契約してよ☆
ライヴの終盤、
れにちゃんのダンスが既定路線から外れだして
狂気を纏った瞬間がカッコ良すぎて完全に死ぬかと思った
死ぬかと思った
ももクロちゃんとかまってちゃんと怪盗少女と魔法少女 発動篇
こういったももクロちゃんのパフォーマンスの前段には
Perfumeが切り開いたアイドルの市場原理というものがあって
自分が主役じゃない場で、客を奪ってくって話は
パフュ黎明期にサブカル観測範囲で
ロマンポルシェとか、豪さんのポッド辺りで(多分)聞いた話。
楽曲のプロダクトは固まってきたのに
彼女たち自身のプロダクトが比較的自由だった事で
ステージ上でどうしたらいいか
自然に市場の原理を嗅ぎとり対応していった事が
ももクロちゃんを含めた後進のアイドル達に
数々のヒントと具体的な道筋を残した事で
何処にどれだけパワーを使うか
メンバーのバランスをどう取るかを
客観的に構築するリソースが出来、
とても極端な表現をする人達の場所が用意された
って言えると思う。
クラヴカルチャーを取り入れた人達と、
アイドルに求められた何かを取り入れた人達では
今はどんどん別の市場にアクセスしていくように
変わっていっているような気もする。
今回のももクロちゃんとかまってちゃんのライヴは
MAD動画・アニソン・ニコ動・初音ミク的な道筋と
アイドル市場の関係性の方に繋がっていたと思う。
全然違うものなのに、アーキテクチャが同じみたいな。
ニコ動的想像力のパフォーマンスと言えば、
ゴールデンボンバーも同じマトリクスに並ぶ。
金爆が並ぶなら当然(終わってしまったが)マッスルも
同じマトリクス上に配置できる。
その中で、かまってちゃんが特別異物なのは
キチガイの聖性による
即興のコンセプチュアル・アートぽさの演出部分。
金爆やマッスルは
ヴィジュアル系やプロレスという魔法ありきで
たまに見える即興性を演出の外と位置付ける部分にあるし
たまに見える即興性が
ももクロちゃんにとっては萌えになるわけだ。
ももクロちゃんとかまってちゃんと怪盗少女と魔法少女 かまってちゃん編
打って変わってかまってちゃんは、脳みそフル回転させられた
かまってちゃんをどうやって咀嚼するか
攻めても攻めても掴めないで逃げていくパフォーマンス。
ももクロちゃんが、画面越しとはまた違う壊れゆく身体性を
印象づけるステージだったのに対し
かまってちゃんは画面自体をステージ上に持ってくる
画面越しと殆ど印象を変えない、
実存感の薄い嫌味のパフォーマンス。
それは、PCのモニタはかまってちゃんを
ケの日=日常に引き止める生命線だから
ももクロちゃんが完璧なハレの日なら
かまってちゃんはライヴなのに
ハレの日を拒否するパフォーマンス。
ももクロちゃんが魂をソウルジェムに詰めて
紅白に出る夢を叶えてもらうため
魔法少女になることを引き受け
エクストリーム表現を可能にしているのに対して
かまってちゃんは
「魔法少女の素質があるよ」
と言われても、ゼッタイに魔法少女になることを拒否する
ゼッタイに日常から乖離しないパフォーマンス。
一言でケの日をステージ上でしてしまうと言っても
ライヴをハレの日にしない表現というのは
基本的に矛盾していて、そんな事可能なのか
お金を払って日常を見せるパフォーマンスで
お客を納得させるって可能なの?
とは言え昨日のかまってちゃんは
配信の場で遊んでる感じが薄く
ライヴの肉体性→非日常的快楽=音楽ぽさが
前に来ていて、
こりゃあどうなるかと、目が釘付けになった。
これは当たり前だけど
どんな奴だってずっとやってりゃ
多少上手くなっちゃうんだよね
そのせいで一見「ロックバンド」ぽい気がした。
例えば、ぐだぐだなMCとか
何の発展性もない客とのやり取りとかの中に
「映画見なくていい、俺が映画だから」
といった、
ロックスター・パロディのような言葉が出てくると
それが少し似合っていて、
客もまあカッコイイと思ったんじゃないか。
そういった音楽フォーマット・ジャンルに押しこんでしまうと
決して上手くもなく、
曲構成もハッとするアイデアも歌詞を除けば限定的。
(自作PVのセンスがまたアレな感じでいいんだ
ロック・スター然とした言語は
ベタに受け止められたら物凄くダサい
近いのはコント「ロックスター」。
このように手持ちのカードは糞弱いんだけど
それがの子っていう
キチガイの振る舞いというレイヤーが挟まることで
めちゃくちゃギリギリ成立する後半戦へとなだれ込む
この塩梅がめちゃくちゃスリリングだった。
なんか、アンサンブルになってたから
ロックバンドぽかったけど、
の子と友達がたまたま音楽やってるだけで、
キチガイに聖性を貼りつけて
勝手に成立させてるのは受け手の側。
そう言う視線を拒否するように
ロックンロール〜をやらなかったのは大正解
もう飽きたでしょ(やる側が
本来なら、ももクロが7曲連続といった
足し算のパフォーマンスをカマしてきたのだから
2曲くらいで帰って、怒った客と殴り合ってライヴ中止
次の日のナタリーでニュースになる位で丁度いい。
ていうかそれで
どこまでいけるんだっていう話じゃない
友達が遊んでるのを金を払って見るっていう、
言葉はアレだけどコンセプチュアル・アート的側面を
のぞき見ワイドショー感覚で楽しむ部分ですよね、いわば。
アート作品「ロックバンド」っていう。
それに対してももクロちゃんは
アイドルがすごいアイドルのパフォーマンスをして
突き抜けたのだから
この2MANを通して共通する何かが見えるか
というのも、一つの見所だったんですけど
別物ですよねこれは。
強引に共通点を見つけるなら、
ニコニコ動画性と、
替えの効かないという幻想に対するアプローチを
全く逆の、端と端から突き詰めた
ステージだったのかもしれない
最後手を上げて「死ねー」って言ってる時
気持ちよかったじゃねえか、ちくしょう
どうなっちゃってんだよ
大切なことはすべて君が教えてくれた
今回の月九ヤバい。こんなニヤニヤ動画久しぶり。
これが中野Pじゃないっていうのが今のフジの強さ
まず俳優の裏側にある膨大なデータベースが前提にあった方が面白いので、時間があったら調べてからだと思い入れが変わると思う。
三浦春馬だったら恋空とか君届とかあって、関西SLAMDUNKがライダー、電車男がジャニーズ、メイド喫茶がセブンティーン、元カノがAKBって前提で見ると楽しい。そんでこの多アングルからのコミットと教室の相性がいい。
それは演出的には学園ドラマにありがちな教室の息苦しさが無く、外気と室内がフラットに演出されている為、教室の緊張感とドラマの緊張感が決してイコールにならないことで、ドラマの推進力が場に支配されないっていう利点を有効活用しようって所かと思う。場は時間の進行さえいじってしまうので、設定や世界観よりも俳優の持つ身体性がドラマの推進力になってるこのドラマにはすげえ相性がいい。
で、このドラマは変則型群像劇になってると思うんだけど、作っているのがコードブルー班だから群像劇を描くチカラには心配無い。
音楽の使い方も中野Pかと思うような(笑っちゃうんだけど)ハッとする使い方で(走りだして音楽ジャーンって月9的には超盛り上がりポイントなのにむしろ爆笑ポイント)、こういう意地の悪い演出はフジが今一番面白い。
で何がヤバいかって言うといきなり第一話からおかしい。一応生徒同士のセックス話なんだけど全然目立たせない。普通ならあの二人を軸にして2話はいけるよ。初っ端からセックスの話してるのに、ストーリー的には三角関係をそわそわさせる単なる道具立てでしかないし、裏表紙としては学園ドラマは単なる飾りで一側面でしか無いことの仄めかしになってる。
第二話は女の子同士の友情のレイヤー話で、これもホント申し訳程度にしか使わない(いや言ってることは「ここでアンタに謝れたら許さなくちゃいけなくなるからズルイ」みたいなエゲツない話してるんだけど)。印象に残ったのは、一番メッセージ性の高い春馬のご高説にバラード流してゆっくりパンして…って部分が、そもそもお前さあっていう突っ込みによって成立してないっていう、演出とズレた文脈の方を読ませようという作りになっていて、なにせ誰にも感情移入出来ないように、他のシーンでも切り替わりの前にきな臭さを常に残してそれぞれのシーンが終わるわけ。いわばドラマの山になる泣かせを誰も泣かせとして受け取ってないという、視聴者を客体としていることが分かるシーン。ナレーションとか心の声とか、一人称なのに全然共感とかしないし、むしろ「ざまあw」くらいに感じる。この事から、近いのはスキャンダルとかゴシップかなと思った。
また第二話辺りから演出がキレキレで。普通のドラマなら最低限ヤラなくちゃいけない、端役の人間が画面からハケる理屈・画が全然無くって、このドラマで描きたい必要な会話・関係性以外を全く描く気がないという(TVの悪い部分として揶揄されがちな部分を)、完璧に割り切った通常ありえない作りになっている。例えるならギャルゲーで移動は一瞬、テキストはスキップ、やるのはイベントだけみたいな感じ。
まとめると第二話時点で、ゴシップ的なアングルを抜きどころだけの場面スキップで見せて、山場で皆で一斉にツッコむ外部のコミュニケーションに特化した装置としてのドラマである一方、「それってお前らだよな」をもう一度物語の内部に循環させる狡猾さも伺える。
ここまでで基本情報と第二話。この後もクソ長いから一端休憩
そんなことをやりながら、核になる三人の話は連続ドラマとしては異例なスピードで展開していきます(春馬が生徒とセックスしてたかも→その生徒に脅され出した…→即効でバレた!→えっ難病モノだったの!?)。
この辺りから、戸田恵梨香がおかしくなり出したり、春馬の主体性の無さがちょっと尋常じゃない事が伺えだしたり(決定的な部分の話を誰も覚えてないハングオーバー形式のミステリーになっているのでそもそも核心の主体は画面上にない)、実は周りの人間もなんかオカシイかも知れない感じになってたり、群像劇的な緊張感がパない。
最後まで引っ張るかと思ってた話を速攻で終わらせてしまったので、そもそもヤったんかこら。という部分が今度はドラマの推進力になりだすのですが、普通バレるかバレないかサスペンスに行くような話を第二話でさっさとバラして、じゃあヤったんか話に移行するかと思いきや、これまた第五話で呆気無く真相が判明します。
最早このドラマが普通では無いことは、かなり明確になって来ているので、では何なのかが俺的には気になるところです。
で俺が注目したのがSLAM DUNKと、武井咲のプロフ。
ドラマの中にSLAM DUNKが出てきて、武井咲のケータイ小説風(難病純愛)日記があって、ドラマの中の人それぞれの物語がある。その武井咲が一日だけ死んだお姉さんの人生にトランスした。正直インセプションを想像したんですよね。例えば、武井咲の少女漫画風モノローグ場面を、三浦春馬がケータイで読んでるって見せ方をするんですけど、それって完全に読者って事で、武井咲のドラマを三浦春馬が読んでいるって描写だと思った。実際、生徒の前にいる時の春馬が本当の自分かと言われれば、教師という仮面を被っているかもしれない、みたいな台詞が出てくる。それと見ている間に、何度もジャンルが変わる感覚があって、それは演出がラヴロマンスや難病やミステリーやコメディやドロドロサスペンス劇場のような、そのジャンル特有の画に(音楽でもいいけど)カメラが誰を写しているかによって変化し、それが一つの話の中に同居しているって感覚があったんですね。
それで思ったんです。もしかしてみんな頭の中では自分が主人公で、そのジャンルが人によって違うから主体が変わるたびにジャンルが変わったり時間の流れが変わったりするのかな、と(そう言われれば前回の月九『流れ星』もそう思えるドラマだった)。
さあさ此処から核心に行く前に一端休憩。
そう考えるとこのドラマは、複数のドラマを同時に抱えた、本当の意味で主役が複数いる群像劇を徹底したドラマなのではないかと思うわけです。となると、主役が変わるとき、一シーン前まで主役だった人が今度は脇役になるわけで、例えば春馬は彼女や家族や生徒から、別々の物語の登場人物として見られながら自分が主役のドラマも持っている、にも関わらず、自分が主役のドラマを主体的に引き受ける事が出来無いが為に、最大公約数的な倫理観を演じ続け、それでも人生を謳歌しかける全く感情移入出来ない造形だった。その証拠に、最大公約数的な倫理観によって一人の生徒を守る事が、掛け替えの無い恋人や大事な家族を傷つけていてもそれに気付かない、主体性はないくせにカッコだけはいっちょ前につける人物に見え。これは、ドラマの視聴者として設定された客体でもあるんじゃないか、という風に読めるのです。
ドラマじゃなくても普通に、誰かの物語の正義を執行すれば、また誰かの物語では悪になることがあるのは当たり前で、そこを念頭において話は進んでいくものですが、主体性のない空っぽの客体である春馬は、無責任に武井咲のドラマを引き受ける事で、武井咲以外には悪役として認証されるのに正義面を下げるという、天然のルルーシュだった訳です。
第五話で、武井咲が涙ながらに事の顛末を説明するときも、武井咲主体で、それなりに感動的な音楽とかカットバックとかあるんだけど、必ずしも武井咲は主体じゃない為、えっ…なになにこの子。って見えるし。教室学校病院実家が大変なことになったのは、全部あなたの難病モノドラマに付き合わされた結果だったの。という客観性が常につきまとう。
このような事柄から、ここまで見ている間に、同時に何本ものドラマを見ているような気分になるのは、気分じゃなくて実際に複数のドラマを見ていたからだったんだと思うに至ったんですね。半歩視点をズラすだけで悲劇の主人公から、「今更何言ってんのこいつ」に変わるのも、隣の人の登場人物としての自分は何役か当の本人達が自覚してないからですし。全員主役面してっからみんな馬鹿みたいだし、誰にも感情移入出来ない。しかし演出レベルでまるで他のドラマが同居しているかのように見せる手腕は、全員に全く違う台本渡してても成立するレベル。だからこそ最初に言ったように、春馬にヒロや風早の面影を重ねてみると面白いんですね。
一言で言えば、スーパー月9大戦だすね。
ココに来て登場人物のみんながみんな自分の中の春馬語りを始めたせいで、もうこの読み解き方しか出来ないくらいのドヤ顔になってしまったけれど、また来週見ると全く違う話をしている可能性があるドラマだから現時点での俺の見方なだけで全然うかうかしてらんないけど
クソ長い文章を最後まで読んでくれて有難う。
ここからはもう少しこのドラマを外から見た印象。
このドラマにジャンルは無いに等しいし、寧ろ戦ってるのは、バラエティ番組とか、ニュース特番とか、それだけじゃなく、ネットを巡回する手や友達とケータイで話す耳や口を、このチャンネルで止めさせる事にあるように見えるんだけど。それは物凄く当然の事をしてるまでですよね。ひな壇芸人とか友達の恋話とか八百長問題とかエロ本規制問題とかと並列に並べられて、コチラをチョイスしてもらう事に演出や脚本や配役が向いていると思えばこの作りは、物凄くひざポンですよ。前から考えてる、バラエティの方法論とか別のジャンルの方法論をドラマに輸入するって話でもあるんだけど、最近のドラマの中で一番理想的に落とし込まれてる作品だと思う。ただ役者さんがちょと可哀想かもしんないけど。
そういうやり方でチャンネルを持つ手を止めさせる、ってやり方が気に食わない人がいるのは当然ちゃあ当然(こんなのドラマとしては低俗だみたいな)。でも別にそんな事どうでもいいじゃん、ドラマだからってTVなんか所詮バラエティなんだから。って強さが俺には物凄いどストライクなんすよね。基本的には爆笑してますよ
もしも普通の学園ドラマなら、学校から家までの往復の場所しかカードをもたない生徒に、それ以外の外部を有した先生が学校外の価値観を持ち込むことで、生徒よりも有利に立ちそのチカラによって生徒を支配し信頼関係を徐々に構築する作りになるんだけど、生徒であっても先生であっても、教室にしかリアルがない事の方がリアルじゃないとか当然だよね。
あの教室での生徒達から涙混じりの怒号を浴びせられるシーンは、金八とかごくせんとかが最終回直前で生徒とセックスしていた事がバレるって展開な訳で、四話なのに教室の関係性は普通のドラマの最終話に近いんだよね。だから生徒が泣いたり怒ったりしているのに違和感がある人もいるだろうけど、それはこのドラマにとって学園ドラマは単なる一側面でしか無いことの証左で、他の学園ドラマや学園モノの映画と比べて分からなくてもしょうが無い。このドラマが異常なんだもん。金八とか2クールかけて関係性をじっくり描いて生徒と教師の信頼関係をつくって、それが視聴者と金八の信頼になるわけじゃん。後は卒業式だけだったのに、その前にいきなり鉄矢のちんこを目一杯大写しにされたら、そら泣き叫ぶんでしょう。そうやってチャンネルを止めさせたら勝ちなのかどうかは、人によるっていうのは前述した通り。俺は好きだけど
CRUSH! -90's V-Rock best hit cover songs-
CRUSH! -90's V-Rock best hit cover songs-の感想書くよ。俺はこういうDJネタになりそうな音源大好きだし、もっと出来るだろうけど概ね選曲選盤文句なし。説明可能な選択だと思う。
heidi. - ピンクスパイダー
過去のheidi.らしさからメジャーでの像を結ぼうと、過去の自分と戦ってる最中というのがもろに出た感じ。聞き返すと他のバンドに比べていじってる方だったけど、物凄く微妙な箇所でheidi.らしさが出てる。heidi.風アレンジは随所にあるけど、音自体はシンプルだから個性を出そうとしたらこうなったみたいな
ドレミ團 - 街
ドレミ團は聞いたこと無くて、それこそ昔のheidi.的なバンドだと名前から勝手に想像してたんだけども。モノマネ芸人的に似てる。うんただ似てる。あーメイン作曲者が抜けては変わり続けてるバンドなんだ。SOPHIAより原曲の持ってるベクトルに多少寄せた感じかしら
BugLug - Melty Love
声色とかワウ気味のギターとか、基本は一緒だけど微妙な小ネタを散りばめる感じのカバー。CはBugLugの良さが分かりやすく出てると思うからこのCを拡張して、構成バラして増やしたり転調したりとか聞いてみたかった。この曲ならSuGとかゾロとか可愛く出来そう。改めてBugLugの特徴はハイブリッド系でもバンドサウンドを別ジャンルにもってくんじゃなくて、別ジャンルの音をバンドサウンドに落としこむってタイプのバンドなんだな
NoGoD - 1/3の純情な感情
団長が意外なキーから入ったので笑ってしまった。DELUHI休みだしバカテクで選ばれたんだから間奏伸ばして、ベースソロとかドラムが暴れたりやりまくればよかったのに、細部とギターソロくらい?事実NoGoDはメロディを殺さずにさりげ無くテクニックを使う術をSIAMSHADEから学べばもっと聞きやすくなるぽい
D - 月下の夜想曲
これはまごう事無きDのカバーだ。白亜の宮殿に入ったら吸血鬼が住んでた的なアレだ。当時メロディが面白くてアレンジが凝ってるかも知んないけど音が軽くてシンセが嫌いな俺にはハマんなかったけど、あの時俺が聞きたかったマリスがこれなのかもしんない
少女-ロリヰタ-23区 - STORM
建て直したてのバンドが、誰もが扱うには持て余すLUNASEAの曲を微妙に再アレンジしただけでも頑張った。少女-ロリヰタ-23区の持ち味でもある多ジャンルハイブリッド感に乏しいのが寂しいが、勝手にラップとかキラキラシンセとか入れたら叩かれそうだし
摩天楼オペラ - 紅
Versailles以外ならメロスピで2バスなら摩オペだろうが何だろうが誰でもよかったけど、Keyいるし、まあ摩オペだよな。やって欲しいことをキッチリとやる感じで。Guソロで代わりのKeyソロとのアルペジオ風ユニゾンがほぼ無意味で笑った。はっそうかKAMIJOじゃ原キーで紅歌えるか微妙かもっ
DaizyStripper - With-you
普通に考えたらラクリマのカバーなんて嫌なハードルの高さだけど下くぐって来たか。ハイトーン以外没個性のデイジーがやるには逆に一点突破かも。メロディを丁寧に拾ってる以外はコピーしやすいアレンジに変えたみたいな。(多分)下手ギターがHIRO風アレンジを頑張ってる
12012 - Winter, again
ロックンロールヴィジュとして12012なんだろうけど、studsとかdeadman系がやると面白い筈なんだよね本来、無難に行けばガゼとか。元々音はシンプルなバンドだから、こうなるのは分かってるんだけど、どっかポイントで暴れて欲しいなあ正直
アンド - ロマンス
最近はこういうバンドであんま良いのいないから、LycaonとかSCREWじゃなくて急上昇中のアンドが抜擢されるのは分かる。けどDISCOビートが念頭にあったからなんかな。なんかアレンジがぐちゃぐちゃなような。メリハリがもうちょっとあったら、転調でおおってなった臭いんだけど。PIERROT的な…boogieman辺りでも面白かったかも
Mix Speaker's,Inc. - S.O.Sロマンティック
これもちゃんと聞いたこと無いけど、Mix Speaker's,Inc.てこういうバンドなんだろうなて感じで。二人でフリを合わせて手をこう振ってるのが目に浮かぶ。ツインボーカルを生かしたかっていうとアレで、メルヘンな音階にアレンジし直したりするのはいいんだけど、何でこんなに楽器がロックぽい音色なのか謎
LOST ASH - ENDLESS LOVE
そもそもD+SHADEがデラのコピバンみたいなもんなんだけど、これは何とも言い難い最大公約数的なアレンジで。全然悪くないんだけど言う事もない。D'espairsRayなんかがやったらもっと変なアレンジにしたかな
MERRY - Schweinの椅子
カバー常連のMERRYも今までの出張メリーて感じがなく、曲と齟齬が無くて珍しく浮いてない。そもそも原曲がアイデア一発みたいな曲で遊びようも無いけど、いつもの和音階裏打ちあと2バスとかやってみるもこの曲じゃこんなもんだよな
DuelJewel - JUPITER
これもなー、コード進行がこれ以上無いってくらいシンプルだから、アレンジしようにも困っただろうなあ。思い切って8ビートにしてコードも変えて…みたいのはやったんだろうけど、結局ここに落ち着いたんだろうな
DOGinTheパラレルワールドオーケストラ - 夢より素敵な
これは原曲知らんからなんとも。ただPWOぽくはないから原曲に忠実なカバーなのかな。いつもよりアイデア少なめで声も音も寄り道せずにゴールに着いちゃった寂しさはある。変な音で一杯みたいなのでいいのに。LM.Cとかがやったら面白かったかも
知らないのもあったけど、総じて原曲リスペクトなカバー。こないだ聞いたabingdonの少年カバーみたいな、始まってもしばらく黒夢の少年て分からないみたいのは無かった。通して聞いた後にもう一度聞いた時の方が細部に耳が行ったから面白かったかも。なんつーか原曲強すぎていじる余地が無さ過ぎる。こういう企画は旨味は少ないだろうに、俺はこういうオムニバス好きだから嬉しいけど。過去盤のファンより、逆に原曲知らないファンが押し盤目当てで買って、原曲バンドの曲を初めて耳にしたりするんだとしたら企画としては成功だと思う。だから若い子に普段の○○とちがーうなんて面白がって聞いてほしいなあ
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お疲れ様でした
特に書くことも無いのですが
来年は良い所になるといいですね