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体験するアイドルから音楽とダンスについて6 -音楽とダンス-


体験するアイドルから音楽とダンスについて
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そういえば最初の問題定義のアンサーをしてなかった。折角アルバムも出たし、前山田健一を主としたももいろクローバーの楽曲とダンスを紐付ける話が出来ればと思います。いやアルバムの話はしないのですが、アルバムへの導入・助走としてうかつに切り捨ててられない、そもそもなんでこうなってるかを分かりやすく説明できるよう頑張ります。またどうせ長くなると思いますが、最後までお付き合い頂けたら幸いでございます。


まず自分語りしますね。御多分に漏れず自分も怪盗少女が入り口になった口なんですが、正直最初に聞いた時は、奇抜だけども最近のアイドルはこげな変な曲もやるのか、ただ(他の曲は別段カッコイイと思わないし)奇を衒って変になってるのかな。というイメージでして、今よりも距離をとったジャブを打ってました。
んで、伝説の誉れ高いMJのライヴなんですが、この時はYouTubeで聞いた時に比べ届いたんですね。
今なら分かりますが、もし彼女たちがアイドル史を本当に更新したのだとしたら、彼女たちのダンスが曲を牽引している部分が非常に大きいと思います。この力関係は今でも変わらなくて、個人的にはPVよりもライヴの方が断然ショックが大きい。
そこから行くぜっ!怪盗少女を何回も聞いて自分なりにこの曲を納得させる過程で、これJ-POPの最先端だろという興奮に体がガタガタ震えてたんですけども。それは同時に、自分なりの答えを裏付けるように新曲が機能する、という意味でもあり確認作業になっちゃう恐れもあったんです。が、次に届けられた曲がTOKYO IDOL FESTIVAL10でやったココ☆ナツな訳ですよ。コチラの甘い予想を完璧にブチノメスバカ曲。それ以降は、混乱と同時にももいろクローバーの事しか考えられない期に突入ですよね。なんですよ。



少し迂回しますが、自分はヴィジュアル系の音楽が好きだったりするのですが、この頃よく聞いていたバンドは、今や当たり前の前提にすらなってしまっているんですが、クラブカルチャーのサウンドじゃなくて、その構造をバンド・アンサンブルに落とし込んでいる部分で。具体的に言えば、一曲の中で複数の曲をMIXして繋いでいるような所なんですが。その断面がクリアに見えると、転調やプログレっぽいとか言われたりするのですが、そういった洗練とは何か異なる、好きな曲の好きな部分だけ繋げたら最強じゃねっていう。これがヴィジュアル系シーンの安直なスクリーモ化に食傷気味だった自分にはまったんです。以降そういったバンドを掘るのが趣味になったというお話なのですが。これが、前山田健一の怪盗少女分解の時に非常に役立った。


前山田楽曲はそれどころじゃなく、更にカットの精度が細かいエディットが施されているという部分が最初に耳に飛び込んでくるのですが、あえてとか狙ってだと思っていた部分が、彼なりの快楽原則に従っていることが同時に浮かび上がってきて。すると今までナメてた部分が単なるポップソングとしてちゅるっと耳に入ってくるようになり。言葉は違うのですが、つまりこれは日本のフックソングなんだと思ったわけです。K-POPの文脈で語られるフックソングは、むしろココ☆ナツの方が近いのかな。ちげえか。ええと、だから前山田さんの曲にはフックしか無いんですよ。それが普通、美メロとか泣きの旋律とかに行きがちなんですけど、前山田さんはモーニング娘のセクシービームとかホイッだけで、一曲にしちゃっているような所があって。玉ねぎの皮を一枚一枚向いていったところで、コアの部分が無いんですよね。いつまで経っても断片のアイデアやフェティッシュしか見つからない。これってベタに楽曲に落としこむとandymori的なものになると思うんですよ。



簡単に言うと、やりたい音のやりたい所だけやってサッと曲を終わらせちゃう(コレが彼らの魅力の全てという事では勿論ない)。でもこれが同時にロックの足枷を浮き彫りにしていると思っていて、やりたい部分だけだと曲じゃなくアイデアにしかならないので、最低限のABサビCって構造だけはいじれない。しかしそれさえうっちゃれば、全部サビ、全部好きな所みたいに出来る訳ですが。これをどうやるかが問題だったわけですよ。


いやPro Toolsとか初音ミクとかとっくにあったし、ダンスカルチャー、ナードコアの文脈で、エディットとかカットアップものはそれなりに聞いてたつもりなんすけど、アイデアの手触りこそ最初は惹かれたものの、どこか大喜利になっていっちゃって暫く聞いてなかったんですよ。だからtofubeatsのRemixとか入ってるのは、分かりやすくソコの文脈だと思いましたし。
ただポップソングにしてはアイデアの数に比べいかんせん長い。いっとき楽曲がCDからmp3に変わっていく過程で、曲は長くなっていくなんてどこかしこで耳にしましたが、前山田さんのアイデアはホント剥き出しのゴロッとしたアイデアで、お膳立てもフォローも一切ないんで、たぶん一曲に30曲とかそれ以上のアイデアが詰まってるんだけど、曲は4分程度でまとめてくれるんですよ。これって、いわば一曲が5秒とか10秒になってるってことだと思うんですよね。自分が前山田さんの作るポップソングの経年変化を説明する時にいつもする喩えが、フリッパーズ・ギター→(ドラゴンアッシュ→)オレンジレンジ前山田健一なんですけど、これは一曲が包括する曲数が上がっているという話でして。前山田さんの作曲で一番感動しているのは、オレンジレンジまで存在していた元ネタの地場に縛られていない所なんですよ。フリッパーの頃は、完コピとか原曲への愛とか元ネタディスクガイドみたいな文化があって、DAになるとサンプリングとオマージュ文化になって、レンジの頃はうろ覚えメロディへの無邪気なアクセスになり、ついには誰も前山田健一楽曲の元ネタについてなんて気にしなくなった訳ですよw。ばんざーい!パクりだなんだってガタガタ言うやつを相手にしなきゃなんないくらいなら、元ネタとかどーでもいいよー。
しかしこれは、前山田健一ヒャダインとして培ってきたエンターテイメント性だったり、ナードコアだったりキャラソンの文脈を背負うクリエイター前山田健一さんへの評価であって、別の人や自分に書いている曲とももクロの曲にある決定的な違いによって、もう前山田ヤベーからアイドルは別にいーやとは思わせないんです。


1でも話しましたが、自分はももクロのライブを見て始めて、本当の意味でアイドルが歌って踊る意味をつかんだと思いますし、それを体現し続けているグループだと考えています。それ以降はmp3だけで聞く音楽が全て色あせてしまう程の革命で。以前まで遡って、様々なアイドルが音楽とダンスをシンクロさせる為にどのような経緯を経て、Pefumeや少女時代がどういったステージで戦っていたのかに、遅ればせながら気付かされ。それについて、この連続アイドル語りで多少語ってきました。この体験は感動でなんか語らないとあふれ出る勢いだったんですよ。
自分は前のシークエンスでロックの足枷の話をしましたが、優位性もその一方である筈で。それは最初の方にも書きましたが、アイドルちゃんは自分で曲をかかないしアレンジを考えないし楽器をつかって表現をしない、という思い込みに端を発していた訳です。しかし、実際に見たライブは全く異なっていて、彼女たちの振りやフォーメーションのひとつひとつが、楽曲をまさに演奏することでライヴさせている部分の感動だったのです。つまり、ライブ以降感じる音数の少なさは、彼女たちの身体性から出されるダンスの音数で。例えばこう手の動きがキックの裏のリズムになっていて、歌詞がその動きのコールアンドレスポンスになっていたり。また単純にファンの人達の声があることで完成する部分もあって、見る度に曲のアレンジが洗練されていくように感じたり。またライブに行く前までは全く興味のわかない楽曲も多くありましたが、ダンスを見ることで音の意味を変えて、踊っている人を見てやっと、だからここの音がこうなってたんだと分かるようなものも沢山あります。


つまりももクロの音を全部聞きたかったら、ライブに行かなきゃ聞こえないんじゃないかってことなんすけど。この感じって実はMC BATTLEに見出してたモノなんじゃないかって気がしていて。現場をロックしたもん勝ちってMJのももクロと同じじゃんみたいな。ただMC BATTLEって見てる側もやってる側も、リアルタイムで作詞作曲をしてるようなもんだからハマると演出の施された音源に懐疑的になるし、ドメスティックなものにフォーカスを向け現場思考になるけど。落ち着いて考えりゃ音源も面白いし、海外にも死ぬほど現場があるってのは当然で。現場って魔法がかかってて、演出を極力自力でしないといけないから本質が炙り出るみたいな気分に陥りやすい。だからここまでいっておいてなんですが、自分は現場主義が苦手なんですよ。だから実際の土地を表す現場ではなくて、リアルタイム的なパフォーマンスってことだと思うんですよ。たまにももクロのUst見てると、口パクじゃないのがいいって言ってる人もいるみたいですけど、普通に口パクもオンマイクも両方ありますよね。でもそれによって、それを知っても関係ないですよね。ももクロの持つある種の暴力性って、こういう所に現れていて。例えば、事故みたいな生放送に相対したら編集のクオリティも上がらざる追えないし、結果パンチラインだらけみたいな映画とかドラマもアニメも出てくるわで、全部がももクロみたいになってるとか思えて。あと本・ブログで腰据えて書く文章に対した、Twitterとかfacebookだってそうじゃないか。現場でのみ体験できるパフォーマンスの価値が上がってると思いきや、現場的なリアルタイム性を作品単位に落とし込める作家が、現実の場所すら相対化してしまっている。といった感じで一つのグループの中で現場主義と作家主義がせめぎ合って結果生まれる総合的な何かが、ももいろクローバーの魅力なんじゃないかと。しかもももクロUstreamっていう武器があるので擬似的な現場を立ち上げてくれるんですよね。ももクロの楽曲とダンスが強くシンクロしたパフォーマンスとUstの相性って抜群で、一曲だけ歌うスタジオライブや、PVでは掴み切れないアイドル性の気付きを促してくれる。また椅子に座ってビール片手に見たり見なかったり、のめり込み過ぎない距離感があって、遠足の準備みたいにすげえワクワクしながら頭がフル回転するんですよね。


更に、某イベントにおける前山田さんのももクロの作詞作曲の話は、自分が考えてきたこういった話を裏付ける、どうすれば音を出すようにダンスを踊るのかの説明にもなっていて、核心を深めたのですが。例えばユニゾンの多いアイドル楽曲の中でも、ももクロは取り分け一人ひとりの声を聞き分けさせる曲が多く。これはアメリカのアイドルに非常に似ていますが。最もわかり易い例が、今は脱退してしまった早見あかりの、歌が余り好きでないという個性によって、ももクロのラップは進化してきた側面があって。それ以外にも彼女たちのキャラクターを知っていれば知っているほど、なんでそこでその部分をこの人がこの声で歌っているのかが納得できる話しをされていまして。声のディレクションなど自分たちで考えさせるようにしているらしく。実際に楽曲制作の際には面談をするらしいですが、声のディレクションや楽曲振り付けのアイデア出しも積極的にメンバーにやらせるという話を聞いた時には、本当に編曲やダンスアレンジの作者なんだと逆に笑ってしまいました。


最後に、自分はももクロと同じスターダスト所属の、私立恵比寿中学(エビ中)っていうアイドルグループがほぼゴールに近いんじゃないかという位完璧に好きなんですが、その彼女たちの楽曲を手がけているのも同じ前山田健一なんですね。



正直楽曲的にはエビ中の前山田の方が暴走が徹底しているし、アイドルとしての武器を何一つ有さない最弱さと最強のタッグを組んでいるとは思うのですが。逆に唯一、前山田健一の作るポップソングに勝ってしまっているのが、ももいろクローバーだと思うんですよ(上記した鬩ぎ合いの部分ですね)。
Z伝説のおふざけにさじを投げてしまう言葉も眼にしますが、それはちょっと彼女達の実力を舐めてるんじゃないかと思うんですよね。俺あの曲フザケてるとかそこまでは思わないんスよ。例えばBLUE!の所とかって、アレがないと、もしあかりんがまだいたらここの部分は…っていう想像をしちゃうと思うんですよ。でそれって過去への憧憬で、この曲って震災をダイレクトに、しかしシリアスでなく、かといってそんな事起きなかった架空の世界のお話にもしてないじゃないですか。地震の前の世界に帰りたいって世界観じゃ無い。地震は確かに起きたしビビるけど、それを前提に前を向かなきゃって所と、あかりんは抜けちゃったけど、って所を同時に歌っているからあのBLUEっていう距離感はこの曲には絶対に必要だったし、それって超マジでしょって思うんですよ。名前についたZだってそうだし。マジ=シリアスではないし、笑ってるからって舐めてる訳じゃないって、それ実生活でも同じだと思うんですよね。深刻な顔で難しい問題を語るばっかりがダイレクトに問題と向き合うってことじゃないと思うんですよ。アイドルがガチにアイドルらしい歌をうたうのがアイドルだってことじゃないと思うんです。そういうのが好きな人、好きなタイミングは自分もありますし。今アイドルひとつとっても、音楽以外でも、めちゃくちゃ沢山のエンターテイメントは有るわけで、好きなものの断片だけでトータルコーディネイトしてしまうようなモノだってガチなんだって勇気をもらえるんですよ。



最後にひとつ。K-POPからAKB、地下アイドルまで抑制・抑圧のダンスなのに対して、開放・爆発のダンスを採用しているももクロは特殊だって話。
抑制が効くと少女から女性へと変わるという話を以前しましたが、凄く若い東京女子流でさえも(コンセプト的に)抑制しています。このくらい若いと短期間で身長や体型に過度な差が出てしまう為、振りを揃えるのが難しいですし。フォーメーションが進化しているので、うまい人とうまくない人の差の間で、ダンスを揃える要請に答えた結果だという話は前にしました。
ももクロの採用している全力パフォーマンスのように、個人の実力の120%を全員に出させたら振り付けは揃いません。そのせいかフォーメーションの過程で、あえて横一列になり同じ振りをし、バラバラになることを憚りません。またそれがすなわち拙さにならないのが彼女たちのチャームになっている。つまりももクロのダンスはズレが最初から予定されているのです。それは声・ユニゾンの話でもした、キャラクターと声のディレクションが紐付けされている事と全く同じ話です。
地下アイドルは、むしろ自分で自分にかすアイドル性かくあるべき世界観に近づくことが自己目的化している側面がある為、理想とするゴールが端から違う。またAKBも地下アイドルの手法を取り入れているので、近い所もあるのですが、今の規模に置いてのメディア戦略でいえば最近話題になった江口愛美等から分かるように、システムのこと(流動性が高い)も人数のこと(規模が学校な上、共学ではない為、目が異性でなく同姓)も考えた上で(ゲームマスターには絶対に勝てないがゲームは続く)、個別のキャラクターよりもタイトルが上位概念に立っているという部分が突出している。つまりAKBはモンハンとかMMORPGですよね。MMORPGなら変えの効かない(融通の効かない)パフォーマンスは足枷にしかならない為、誰かがやめたらできない振りはない。
そういった意味では、パフォーマンスの内実じゃない部分で少女時代に近い。あれヘアスタイルとか衣装が結構重要で、ももクロに比べるとAKBもソシも俯瞰で見て同じ人がたくさんいる群れですからね(勿論没入からの推しはありますよ。いやそれはアイドルじゃなくてどこにでも。松屋だったら俺うまトマ推しだし。そういう意味で全て株券ですよ)。
それらに比べると、ももクロは曲に限らずダンスも文脈がひもづけられたキャラソン化している、ということだと言うことが言いたいわけです。まあ印象だけで話してますけど。ももクロは殆ど二次元というか、三次元を二次元に読み替える要請が強い事は確実ではないでしょうか。
そして殆どのプロダクトがそうであるように二次元的なアプローチは、抑制によって齎す事が当然のように振舞われていますが、舞台上のキャラクターよりも、むしろ日常生活のキャラクターをアイドルにしてしまう方が、二次元的になる一つの例だと言えるでしょう。
これは京アニ的な世界観が受け手の教育を促し、その客を信じているからこそ出来るプロデュースかもしれませんし。彼女たちの存在そのものがレアケースであることもあり得るでしょうが。個人的な見解としては、Perfume型の育成方法が普遍的に模倣可能だという証拠なのかなと考えています。Perfumeの時だって彼女たちはレアケースだと言われ続けてきたワケですからね。
一言でまとめれば、プロダクトとして売っているものが、頑張ってる人か、楽しそうな人かの違いですかね。俺はやっぱ、やってる人が見ている人より楽しそうなものにしか今は興味ないですよ。
もし本当にそうなら、Perfumeと違って決まったジャンルの無いももクロは、アニメがワンクールなように常に「作品」が変わり続けないといけないかもしれませんね。それでも釘宮さんがずーっと同じキャラをやってるように、作品が変わっても、中の人と共に作品を跨いだ物語を意外とちゅるっと受け入れる素地はもう出来上がってると思うんですよ


http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20110906/1315312222