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CDの価値、音楽の価値


ふと思えば、結構前からCDをかけなくなった。音楽は9割パソコンかMP3プレイヤーで聞く。その方が楽だから(それとPCのスピーカーの方がいい奴を使ってるせいでもある)。必然的にCDじゃないと聞けない音楽はどんどん聞かなくなってきた。どうしても聞きたい場合、YouTubeでザッと見て、無かったら諦める事が多い。


つまりCDを介した音源が一義的とはいえ、答えだという信頼が殆ど消えてきていると言うことなのかも知れない。何故こういった事を思い始めたかと言えば、神聖かまってちゃんについて考える時間が暫くあったからだ。勿論、CDは消えるとか、音楽ビジネス死ねとか、古いとか新しいだとか、そういう風には全然思わないんだけど。過剰に俺がCDという『正解』を信じていたのかもしんないって事は思う。


実際にライヴを見たことはないのだけど、かまってちゃんのライヴはかなり当たり外れが大きいみたい。それって、当たればそれはいい音楽だし、外れればそうでもない音楽というだけで、CDにパッケージされた音楽がたまたま当たりの音楽か、ハズレの音楽かと言うことでしか無く、それがたまたまCDについてどちらかだっただけで、そのバンドが良いバンドか悪いバンドかなんて分かるわけないし、良いバンドの時もあれば悪いバンドの時だってあるんだろう。勿論この場合の良い悪いは俺にとってであって、どこまでいっても好きなバンドと好きじゃないバンドでしかない。
だからCDを聞いて、このバンドは良い悪いを図るのは、きっと一義的には正解なんだけど、例えば、このCDは悪いけど、いい音楽を出す時もあるんだろう。と言うことは意外と普通にあるのに、CDを過剰に信用していい音楽を結構沢山スルーしてしまったような気がする。(だから音楽評論は死んだかと言えば、そんな事はないと思うし、そもそもどうだっていい。音楽メディアが大変である事は察する)


話は全然違うかも知れないけど、けいおん!とかもそういう世界の表現に見える。音楽を通した人間消費っていう神秘性はそれでも生き続けるし。かまってちゃんもけいおん!もCD音源の消費が最終的なアウトプットの世界だったら全く反応する必然性は感じない。それは悪いからっていうわけじゃなくて、人に勧めるならアニメ見てみなっていうし、ニコ生面白いよって言い方になるっていう事。やっぱ消費してんのは関係性とか人間とか。まーアニメはもうちょい捻れてるか…


良い悪い含めネットで、無料で、色んな形の一つの曲に触れる機会があるのは助かる。1000円で1パターンしか聞けなくても、音が良くて音数が多かったり写真やクレジットや歌詞があるから悪くはないし、一回性は着うたフルでも一緒。だけど俺の中で音源が、二次情報になりつつある