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体験するアイドルから音楽とダンスについて5 -システム-

Idle Music


体験するアイドルから音楽とダンスについて
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前回アイドル戦国時代について、これは所謂アングルであり個々のグループは内側を向き、アイドル史の全体性を担保するものでは無いために演出された(それをするのはアイドルに関わらずgooglewikiYouTube等じゃないかと)、存在しないシーンである。という事を書きましたが。これは○年代以降や、誰それ以降、といった明確な区分がある訳ではなく、現在進行形のままアイドル的な何かとしか呼びようのない何かが拡散し続ける状態が、否応なく降りかかっている状況の話であって、具体的な誰かの意思によって変化した訳ではなく、時代の要請に沿うように形を変えたというのが、正確な言い回しだと思われます。


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二年前ゆるせない話で有吉さんが、テレビとか出ないでグラビアだけで儲かる方法を考えてもらえれば。という話をされていましたが。アイドル史が拡散し個々のアイドルを支えることが出来ない状況に剥き出しで宙吊りにされたアイドルが、それだけで(例えばグラビア活動だけで)存在できる程、回せているかといえば極一部だけです。TV史と切り離されてたとしても、個別のアイドルと利益を共同する限りに置いて存在はすれど、助ける義理は無いわけで。この状況論は格闘技業界の斜陽ともピタリと一致します。そういった個々のアイドルをぶら下げる概念が失効した時代に、まるでその大きい物語が存在するかのような演出としてアイドル戦国時代というアングルが選ばれたというのは、他ジャンルも学ぶべき所のあるアイデアでしょう。



例えば、TV番組が終わると同時に解散するポニーキャニオン系アイドル、チェキッ娘(98)、キャンパスナイターズ(09)は、完全にTV史と心中する切り離されない存在ですが。同じポニーキャニオン系列でもアイドリング(06)は違う訳で。何年以降に○○の存在によって変化したとは言えません。もしかすると、別の何かなのかも知れません。
そこで、チェキッ娘と同時期であり、当初ASAYANやうたばんと切り離してなお存在するグループではなかったが、途中からTV史から独立した最初のグループ、モーニング娘を例に考えてみようかと思います。



娘たちの大小厭わない会場や舞台での活動は、当初はドサ回り等と揶揄される事もありましたが、現在下積み期に太客と一緒に、物語やスキルを積み上げていく活動をしないグループの方が珍しく、むしろTVには出とるのにライヴ活動が疎かであったり、(実際どうかは兎も角)大きい事務所やからチヤホヤされとる温室アイドル等と、逆に揶揄の対象となる逆転現象が起こります。


更にAKBの場合は、劇場の常設で現場を聖地化してしまうという(聖地化はファンと物語を紡ぐ過程で否応なく起こり得るものですが、現場が準備されているグループは稀)、娘から更に一歩進めた、吉本や宝塚型の永久機関を目指していると思われますが、ここに来るとアイドルのゴールをそこに置くこと自体に異論がある人が出てくるでしょう。
ただ、女の子の夢の受け皿としてのアイドルシステムは、一瞬の爆発を切り取るものではなく、長い目で生き続ける幸せに舵を切っている事は確かだと思います。(ちなみにミニスカポリス(96)はTVのチカラが強すぎて、メンバーは変わるがTV番組は終わらないというものでしたが、このシステムのTVのチカラの部分にグループ名が入るのが現在主流のシステムであったり、アイドルのあり方に多少影響を与えている可能性もあるんじゃないかと思っとります。)



しかし当然のように、この受け皿として死なない体制の構築がもたらした、彼女たちの身体性よりも上位概念にシステムが存在することの違和感は表出するでしょう。
敢えて挑発的な言い方をすれば、ファンは少女の幸せを食らうことで、自らが幸せになる構造を消費していたのではないか。現場でアイドルを消費している時に、妙な背徳感は無いだろうか。まどか☆マギカで例えるなら、自分の穢れをアイドル達に吸い取ってもらってスッキリする感覚って無いのだろうか。つまりアイドルとは現代の巫女であって。極論を言えばファンとは彼女たちを死なないように延命をさせるが、彼女たちを幸せにする為ではなく、自分が幸せになるためにアイドルを死なないようにしているのではないか。では、AKBのシステムが吉本や宝塚のようなものになった時、本質的なアイドル性というものは失われているんじゃないか。とも言えやしないか


勿論これは凄く嫌な言い方をしただけで、自分のストレスや日頃の鬱憤をぶつけるのではなく、忘れる為にお金を払うのだ。という言い方をする人だって凄い沢山いるでしょうし。自分は足長おじさんになって彼女たちの夢を叶えてあげているのであって、それ自体が私の宝物なのです。という人だっているだろう。
ただファンがどう考えているか、どう好きかとは全く関係なく、社会はぶら下がる大文字のアイドルを失効させ、否応なくアイドルの形を変えつつある訳で、同時にアイドルとの向き合い方を消費者は試されている。どちらにしろ今までのままというのは有り得ないでしょう。
こっから先にフォーカスを合わせるのが辛いのでこの話は止めますが、しかしTVタレント、グラビア、歌手と細分化された時にアイドルという言葉が担保する何かって本当に存在するのか。それでも残るアイドル性って



こんなコト書くつもりじゃなかったのに、どうしてこうなった…


http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20110728/1311811692