小公女セーラ

今期は特に日本人的なポピュリズムがキツイドラマが多い。
楽観主義的で、一つの事だけしか考えない
排他主義的で、自分の事だけしか考えない
何故か。
その理由はひとつでも
それを受け入れた心のありようは、一人ひとり違う。


そういえば小公女セーラ
ポピュリズムの負の面をピックアップしているようで
同時に
ポピュリズムの正の面も描いていた


受け入れられた運命論に向かって
「受け入れずに立ち向かえばいい」と言うことは、
(相手の歴史を踏みにじる)綺麗事でもある。
岡本杏理の語っている、一見悲しいけれど
それを受け入れている、強く前向きなポピュリズム
今後セイラはどう対峙するんだろう。


まるで、八ッ場ダムの話みたいだ。
受け入れざる終えなかった人間に
間違っているなら中止すべきだと
積年の恨みを経ていない外部の人間が
軽はずみに口にすることの屈辱。


数々の映画やドラマが描いてきた
現状打破のために勇気を持って立ち向かう話が
どれだけ当事者不在の『大きな物語』だったかが分かる。
 それは、フィクションに仮託して溜飲を下げていたのだろうけれども。
そこを乗り越え、シビリアンから個を抜き出し(自分の言葉を)語らせた
小公女セーラは、それだけで十分すぎるほど価値がある。


「まかせる政治」から「引き受ける政治」へってのは
こういう事だったんだな。