『近代化』

07年に入ってから、
自分も『近代化』という言い回しを使うようにしたのだが。
使ってみて気付いたのは、はてなダイヤリーの半分が、
『近代化』を『グローバル化』の意味で使っている。
ということ。
それは『Web2.0』という言葉の使い勝手のよさの裏にある
文脈の在り得なさが物語っている。
私の知見では『Web2.0』という言葉は、
カットアンドペーストの言葉で、文脈を強いられない。
その背景には、80年代ニューアカが言っていた
ポストモダン』『スーパーフラット』の社会を地で行く事で
社会化される事が、
個の癒しではなくなってしまった事が考えられる。
そこで、文脈を強いられない軽さが
安心という癒しを齎していると考えた。


そもそも『近代化』後にあった言葉のOSの変化を、
進化という言葉の文脈で捉える作業が受け入れられなかった為
その後の『ポストモダン』に
『以前近代化した言葉』を『グローバル化』という認識で
仕切り直す作業が行われたのではないかと推測する。
その為、『近代化』を『グローバル化』の意味で使う。
という事が平然と行われているのではないだろうか。
『近代化』が『グローバル化』後として
存在している所に、この齟齬がある。


そしてもう一度『近代化された言葉』を
グローバル化』という形ではなく
明治以後までは、当たり前に行われていた
言葉の進化や言葉の耐用年数という文脈で捉え
再構築するタイミングではないのだろうか。


自分で読み返しても、何を言っているのか全く分からない。