叩き記事は上げやすい -2ちゃんねる主体の精神的現代史-

前書き

記事におけるコメントのような、
恣意的なものだけならまだしも
意識的に部分を抽出し、異なった文脈を用意し、
クリエイティヴな作法を求めない
ニュース(擬似ドキュメント)として呈示する事は、
恣意的な言説を集める呼び水足りえると言う意味で、
少し不細工ではないか。

2CHは悪ですか

スレッドタイトル及び>1が、
クリエイティヴかニュースか
と言われると、とても悩んでしまうけれども
必ずしも、どちらかに偏らなくてはいけないか、
というとそうではなく。
大前提としての悪のレッテルは、
意識的に大なりを強いている状況が
構造として望まれる事が健全であると思います。
そこで、おたくというフィルターを通した上での
パソコン(ネット)文化は、
悪のレッテルを内包(許容)しているか
という大前提は、より議論されるべきです。

自己責任だけど、無責任でありたい

では逆説的に何が上げにくい、または下げがちなのか。
それは、一人一人が個人の中で、アイロニカルな姿勢を捨て
安定した、マジックワード、聖域、全能感を
求めている内(世代)は、見えてこず。
一つ一つ別個の事象として、
いちいちいちいち、考えなくてはいけない。
それに対する相対的な感情が、それに当たる。
しかし、パソコン(ネット)以後と以前で大きく異なる
サイレントマジョリティ的言説を、
ニュース映像ではなく、可視化した現代において
個人の作法で止める事は可能であっても、
止めなくてはいけない○○は存在しない。
その手にした矛は、剥奪されてはいけないが、
何かしらの盾は、部分的に必要で
それは剥奪されたり、抑止させられるような、
何かを強いる行為ではなく、
必要な人に対して不可欠な
セーフティネットという形が最低限求められる。
その上、その抑止力は上記○○内の言葉によって
フレキシブルな形態である必要がある。

偽悪的なガーディアンエンジェル

そんなもの人間以外ありえない。
となると、ネットのガーディアンエンジェルになる。
正直、現状においてのそれは2たんでして。
その功罪は兎も角、功績はとても大きい。
しかも功罪としての悪の部分。
及び、ネットに付随する負のイメージを
スケープゴートとして一手に受け止めても、
全く動じない形態をしている。それは民衆だからだ。
企業や、国のように強固な結びつきではなく、
一つの倫理観を持ち合わせる訳ではないので、
叩きに対して、流動的。
それによってインターネット内の安全は、
『悪いのは2たんの仕業だ』と言う事である程度担保され
それ含めた上で、悪のまま存在し続ける事が凄い。
ネットが偽悪的という事が、
現状ではアイロニー足りえているのである。
これはセーフティネットとして、とても強固だ。
もし明日、2たんが無くなったり、
ネットの匿名性が奪われたりすると
大規模なモラルハザードが、発生するに違いない。
しかし最低限、ガーディアンエンジェルである事は
危機感を持っているべきである。
とはいえ、TVや雑誌で
ネット的なトピックを取り上げる事を嫌うという
自身のマッチポンプ性も理解しているから。
スピードが、なるほど早い。

mixi的作法

ただ、必要な人に対して不可欠なセーフティネットなのか?
と言われると、少しだけ疑問だ。
ネット内で完結するならば、匿名性がその盾足りえるが
ネット外をも補完するならば、匿名性は存在しない。
そこにおいて、2たん的セーフティネットは、
他のメディアに対し、同じモラルを求める過ぎる所がある。
匿名性を放棄し(盾を捨て)、
有名性(より強い矛)を求める事がまるで
 自ら盾を捨てておいて、
 防御の事は良く知らないなんて通らない。
とでも言いたいかのような作法は、
少し、過剰防衛(GA)気味ではないか。
最低限、未成年に対しての作法には、
美意識があってもいいのではないか。
取り敢えず、美意識と書いたが、
それは必ずしも美意識である必要はない。
盾として、フレキシブルに対応する、
エクスキューズの作法であるならば
実質、盾の形をしたダンボールでいいのだ。
それは未成年や彼等を教育する大人に対し、
今求められているセーフティネットであろう。
mixiは一瞬だけ、その存在になりかけたけど
(だからこそブーム足りえるが。ブームでしかない)
所詮ダンボールの盾。もう同じ構造は通用しない。
2たんも初めの内、許していたのは
そういった事を踏まえていたからだろう。
別の構造で、ネットで身を隠す程度の布切れは
現状で何に当たるのだろうか。
どのような形態が考え得るのだろうか。
例えばはてなは、mixiのように持ち上げられ
叩き潰される種を有す程度には、
ダンボールの盾の役割を求められている。
それに対するカウンターがはてな匿名ダイアリーですよね。
よく考えられてる。と感心しますよ。

面倒くさいに勝つ

と言う事を踏まえた上で、
コピーアットワンスや、PS3や、地デジや、
ソフトバンク(携帯)や、GDHは、
ネットに対する突っ込み待ちではないか。
最初に無理そうな頼みごとをプレゼンするタイプの、
ネゴシエーションなのではないか。
だから
>意識的に部分を抽出し、異なった文脈を用意し、
>クリエイティヴな作法を求めない
>ニュース(擬似ドキュメント)として呈示する事は、
方法論が間違っている気がする。
こういった企業のボケに突っ込んであげるのはとても優しいが。
ネットの空気にそうする事しか出来ない
企業の構造を叩かないと、面倒さよりも、不自由さが
是正(企業原理に基く正しい方向に)されていくのではないか。
不買で淘汰されていくと考えているかもしれないが、
そんなもの、目先の面倒くさいには敵わない。
取り敢えずは、TVを見る事を止めた方が良い気がします。


2たんを通した日本の現代史は、
こういった精神的遍歴を辿っているんじゃないかと。

今後2CHが閉鎖する時

現状でインターネットをサヴァイヴするには
2たん的社会に根ざしていないと、辛いだろう。
勿論、2たんそのものの面白さとは全く関係なく、
セーフティネットとして、
ネット上の書き込み場は、監視されている。
と言う現状が、上記にしたような事からある訳です
(そういった主義が存在するとして)。
そこで、美意識(仮)とアナーキズムがバッティング
しているかのように見える。
それは、美意識(仮)の部分が、
お金を匂わせてしまうからだと考えると。
アナーキズムに付随する部分は、お金でも美意識(仮)でもなく、
自由を希求していると言う事だろうか。
今後そういったお金に対する潔癖感は、
弱点にもなりうるかもしれない。
それは2たん的言説が、民主主義の標榜だと仮定して
民衆の態度として、お金は美意識(仮)とぶつかる訳だ。
しかし、お金と美意識(仮)がぶつからない地点も存在する。
 それは、奇跡的に面白い。と呼ばれ。
その継続には*1、まずマジョリティのお財布を
生活の中に、ちょっと贅沢が顔を覗く程度に潤わせないと、
お金と美意識(仮)と自由は
アナーキズム無しでは、共存出来ない。
少なくとも現状では。
しかし、それが現実のものとなった時
アナーキズムは、音を立てずにゆっくりと
殺されていく可能性があるのではないだろうか。
事実、お金と美意識(仮)と自由を奇跡的に継続させ続けている
という幻想のユートピアを支えている
マスメディアは、アナーキズムとぶつかっているし。
生活の中に、ちょっと贅沢が顔を覗く程度に潤っている人は
圧倒的にマスメディアの向こう側いたまま
アナーキズム(2たん)よりも美意識(仮)(mixi的)。
節約よりもLOHASという村社会の方に、
ネットの未来を描いているではないか。
そしてそういうポジショニングに望んで座っている。
そんな現実が存在すると思っている人が、
今までネットのセーフティネットを担っていた
その事は忘れちゃいけない。

後書き

教授とランチメイト症候群YoutubeとWinnyを読んで。
恣意的な書き込みを動因する為の
扇情的な記事作りに危機感を感じたのですが
何か、書いてるうちにその部分は小さくなり
2たん的言説のセーフティネットの強靭さの方に舵が向いてしまった。
その原因は、TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeのこの分を聞いて
(http://www.tbsradio.jp/life/2006/11/1118part2_1.html)
前から、この番組に感じていた居心地の悪さが
一気に噴出したからだと思います。
Mother3をやって感じた壁もそういう事だろう。
もしかすると、この対比のような
二つに分ける、あちら側と、こちら側がどっかにあるのかな。
どちらか一方ってのは嫌だなぁ。
正直2たんを応援するような気分は持ってないし
その為にガーディアンエンジェル(的気持ち悪さ)
って書いたけども。その方が幾分かマシ。
そう前から思っていたと言う事なんですかね。
じゃあ聞くなっていうのは、暴論で。
無くなれとは、全然思わないし。
逆に、好きな部分(気になる)もあるから聞いてるんだろうから。
ウザイ人も苦手な人もムカつく人もキモイ人も、
この世に居ないと生きていけませんよ。

*1:継続とは言え、常に流動的に何かしら奇跡がおきていると言う意味で、一つの価値観が継続的に続く事にはならない