自習室と操縦席があいてないんです

  • 自習室があいてないんです

(http://plaza.rakuten.co.jp/norimasa1718/diary/200603080000/)
違和感を感じなきゃそりゃ変だとは思うが
まず、この書き方に違和感を憶えてしまった。
一つ目に、免罪符を打っておいて
それをさらに相対化しておく。
そこまで管理人が、強靭な鎧を纏う理由に違和感が在る。
もう一つ、母親がまるで仮想敵として
機能出来るスペースを取っておいてあること。
同じ人種だと嘯きながら、差異化しているという
子供の気持ちが分かる大人代表の
胡散臭さを継承している、と思ってしまう。


エヴァンゲリオンで言う、ATフィールド
といった心の壁の話は鬱陶しくなりますが
擬似世界の中の話は、
まるで専門的な心を切りとって見えます。
 パジャマは楽だ。
というだけの話なんですが、
こう経験談で語られると、どうもフックがある様に見える。
blog上では、実際に掲載されたプロフィールではなくて
文章から滲み出てくるプロフィールの
差異化ゲームが、どうもその文章事体の興味と比例している様です。
アルファブロガーに嫌悪感を覚える人は
きっと、そこのゲームがウザイと思うからでしょう。


前書きが長くなりました。
何故こういった事が起きるかというと
超常套句ですが、価値観の違いw。
上記しましたがパジャマと私服と学生服と勝負服を
逐一着替える美意識があるか、めんどくさいかの価値観。
大抵、目の前にいる人、場所、立場などが変われば
服は違う物ですが、実際に服は着替えても
モチベーションの服は、差ほど着替えない人もいます。
これは、昔も今も変わらずいます。
もしかすると、わざと着ない今日的空気が
ノリとしてあるのかもしれませんが。
物凄く風呂敷を広げるつもりは、無いのでやめましょう。


こう言った行為が失礼だと感じるには、
逐一服を着替える美意識をアドバンテージと捉え
その人のアイデンティティにまで消化される事によって
失礼だと感じさせるのだと思います。
だからこの人も、自分の教えている生徒には、
屈託を持って接しているのでしょう。
自分の教えている生徒には責任をとる。と言う低い設定で
子供の気持がわかる大人を演出しているのかもしれません*1
上司や先生に、余所行きの服で接する事が
当然という価値観は長い間当たり前の物とされてきましたが
何故当たり前かと言うと、
メリットがあり、デメリットは特に無いからです。
しかし、この余所行きの服を着ると言う行為に
デメリットを感じる人にとっては、
天秤に掛ける逡巡が産まれます。
アドバンテージを感じるだけで
どこにいくのもパジャマになってしまう人もいます。
だからこれは、美意識の問題です。
秋葉原が臭いと感じる人もいるでしょう。
あれも、美意識の問題です。
心の服は着替えて、実際の服は着替えない
というのも、失礼な印象を与えるのですから。
その両輪のバランスだと思いますが。
こんな若者信じられない!と言いながら
セーラーマーキュリーのコスプレで
お得意先の接待してる。みたいな。


家族といる時、友人といる時、学校にいるとき
こういったフェイズの違いを今回は、シュミラークルと称します*2
例えば、家から出て彼氏に会うまでの間に
モチベーションを上げるという行為は
家というシュミラークルから、
彼氏のいる場というシュミラークルへの移動です。
しかし、長く付き合ってくると、
キメメイクも、ダレてきますし、一度見せた事の在る服も出てきます。
これは、家にいるときのモチベーションを引きずったまま
彼氏に会うという行為に置いて、シュミラークルの移動を
めんどくさいが勝ってしまった瞬間に起こります*3
デメリットが有する、天秤に掛ける逡巡ですね。
だから、長い間付き合うとダレると言うのは
好き嫌いとは、別の次元の問題だと言えます。


コレを書いた方が、文章中の彼にとって
余所行きを着る程の相手ではない*4
と思われてるかもしれませんが、大好きな人の前では、
ちゃっかり、ドレスをまとうんでしょうし*5
会社の面接に行ったら、敬語を使うでしょうし*6
『若者』でくくるのは、早計でしょう。
それよりも
>意識の変化を認めない訳ではない
と言っておきながら、これは美意識の問題な訳ですから
結局、認めてないんですね。
まぁ、仕事としての指導なんでしょうし。
これでお金を貰っているのでしょうし。
なんか、割り切れてるのか、違うのか
ちょっと、どっちつかずな印象があったのですが
その為かもしれません。
じゃあ、金貰ってるんだからどんな生徒にも指導しろや!
とも、思いません。この人のスタンスなんですから。
と言う事で、この人はハッキリと明言していないので
言いますが、ここに出てくる母親は全く悪く無い*7
本人の美意識の問題。
それと、それに接した教師の美意識に置ける価値観の違い。
生徒一人一人と、この教師の問題だと、やはり思うのだ。


シュミラークルをヤドカリの様に生きる人格に
名前をつけて、はてなキーワードにつけるとか
無粋なマネはしませんが、
シュミラークルの壁にぶつかって*8
相手との距離を測る事が、困難だと感じてはいるが
自分がシュミラークルを持ち歩いているから
そうなっている事に気がつかないケースを
一般化して消費して入れ替え可能になっている言葉って
すでに無いんですかね。簡単な言葉が在った気がするんですが。

*1:コレは多分違う

*2:入れ替え可能な連続する局面と言う意味でシュミラークルを用いました

*3:動機は遅刻だったり、つまらない映画だったりなんでもいいです。

*4:良い意味か、悪い意味かは兎も角

*5:いや、知らんけど

*6:繰り返し、知らんけど

*7:全くは言い過ぎか…親としての教育的指導と倫理観の摺り寄せ程度には

*8:家のシュミラークルを持って、会社に行っても会社の中に入れない