笑いについて(考)Ⅱ

例によって、また、昔の文章載せます。
なんだかアーカイヴ化して来ました…

第二章 笑いを創る その1

えェ〜っと今回は、前回と趣向を変えてみます
笑いなんて、やる気になりゃぁ、金も時間も使わないで
どうにでもなるのに
何故、世の中には面白い人と、そうでない人に
分かれてしまうのでしょうか?
笑いがコミュニケートの手段として用いられているのは
あなたの両親の、ギャグセンスを見れば、自ずと判ると思います。
まぁ上司でも、教師でも、なんでもいいんですが。


今や調べる気があれば、殆どの種類の笑いを
堪能出来る環境に、殆ど全員が、あると思います。
はっきり言って、今の日本から
新しい笑いの創造主何て、生まれる可能性は、ナイわけですが。
誰のせい何て、言わないですよ。ワザワザ。
だから、ロバートなんかが、
新しい笑いの創造主何てことは、全然ナイし。
しつこいか。


誰もが、酒の席なんかで、笑いについて真剣に語っちゃったり。
笑わない事が、笑いである事の
ステータスであるかのような、錯覚に盲目的だったり。
それと、どの媒体においてもツマラナイという
評価そのものは、その関係者の笑いのセンスによって
左右される事が往々にして在る訳ですが。
だから余計なお世話として、余計に思うのですが
今ってツマラナイ奴多くない?
という、クエスチョン。ん?エクスキューズか
映像にしても、活字にしても、芸術にしても
面白いものが少ない!と、感じたら
面白い奴が作ってない!と、ほぼ同意義だと思っています。
だから、少なくとも、狭い視野でしかモノを判断できないクセに
「○○つまんなくな〜い。」
とか軽率に言っちゃう、お前とかが作ればイイんだよ。
お前の方が、ツマラナイと、評価を簡単に下せてしまう位
その何かは、ツマラナイわけだから
お前というか、あなたが創ればいィ〜んですよ。
いやマジで。
そうやって面白いものって生まれるんだから、頼むよ。
今なら、10万あれば何でも作れる時代なんだから。
んで、創ってみたいという気持ちがナイのなら
外野でしかない、何かに対して、他人を不愉快にさせないよう
分別をつけましょう。

第二章 笑いを創る その2

それを踏まえた上で、その逆の位置にある
「あなたが判らないだけ、なんじゃないんですか」
て、言葉について。


正直、伝わらないモノなんて、意味ナイ。
人間が作るものの、究極として人間ってのがあるわけで
その人間に伝わらないんじゃ、その時点でアウトなの
分かる?
お前は、伝わらないの?伝えられないの?
その確認しないとダメでしょ。
自己表現の下手な奴は、そいつがいくら面白い人間でも
作ったものは駄目と評価される。
そういう意味でコミュニケートってのには
末端として、笑いがあるんだ。
だから、それを作る行為を自分が求めているのではなく
作ったモノを評価して貰いたい人は、例えば笑いを勉強してください。
やりたい事を学ぶのはホントの意味で勝手だけれど
評価してもらおうと思ったら、
それはコミュニケーションを用いる領域ですよ。
まぁ、他人の為に自分のモノを創って上げた事の無い人は
全く関係の無い、赤の他人の為に何かを作ってみて下さい。
自分勝手なオナニーは、他人に見せるのが恥かしいと
始めて気が付くかもしれない。


人間って知性があるから恥ずかしいんだろ。
知恵遅れの人とか、そういういわゆる人
動物見れば分かるでしょ。
他人との接触で恥を感じなかったら、バカってこと。
モノを創ると言う行為は、そこがスタートライン。
外(社会)に出すものなんだろ。
自分の為だけに何て、ナンセンスきわまりない。
逃げているだけだ。しかも答えの無い分野で。
そうなると中・高校など、学校といった場所は重要でしょ。
学校行け、お前ら。沢山の奴と話せ、お前ら。

第二章 笑いを創る その3

逆に
物事を追求すると、自己表現の下手な、面白い奴が作ったモノ
まで理解出来るキャパが出来るから、
広い視野で分別がつけられる。
だから、前衛とかプログレッシヴと、言われている分野
(古代おたく文化でしょうか?
そこには、マニアが必然として集まるわけで
面白いと感じる脳が、麻痺している為
面白いを理解する、その過程が楽しいと、勘違いしてしまう。
もうそれ自体が面白くなくても、より難解で
より方程式の多いモノが面白いと感じてしまう。
マニアのモノなんてその程度。
(その、程度ってのが面白いんだけども
だから、趣味っていうの。
ホント日本語ってキチンと出来てるし、分かりやすい。
社会的に難解とされている文化は、
一見さんが、興味本位に触って理解出来るようなものじゃないの。
数学と一緒。足し算出来ないと、掛け算も√も
何が何だか、わからないでしょ。
いきなり、スカトロでオナニー出来ないでしょ。
それが、具体的に答えが出にくい分野だと、調子に乗って
分かったフリが出来ると、勘違いしてしまう。
だからこの
「あなたが判らないだけ、なんじゃないんですか」
って言葉は、一見さんからしか、聞き出せない言葉なの。
「かっこう」をつけているの。
それならギャル男の方が、何倍ましだって。
答えに対する、解答がストレートでわかりやすい。
「モテタイ」だもの。
「モテタイ」のに、本や音楽で知った口を聞いて
「モテタイ」なんて気色が悪いよ。
「モテタイ」に遠回りする意味何て無いじゃん。
「モテタイ」人にこそ必要なのがコミュニケートと恥(知性)
「モテタイ」なら、マニアの振りして格好つけるのは逆の行為でしょ。
「マニア」は「モテタイ」なんて考えてない。気持ちよくなりたいの。
受ける側のオナニーだから。恥から関係無い場所だから。
格好をつけるくらいなら、「マニア」にだけに、しか評価されない
小さくて、惨めなコミュニケートサークルで生きてください。
ただ、「モテタイ」なら、「モテル」人を良くみた方がいいんじゃない?
「モテル」に「プライド」と「エゴ」は必要ないって思うんじゃないか。

第二章 笑いを創る その4

あ、逆の逆で最初に戻ったの分かる?
「つまらな〜い」って、言っている人と
「あなたが分からないだけでしょ」って言っている人って
同じ人ってなんだよ。いい感じでしょ。
そこで最初の話に戻ります。
何故、世の中には面白い人と、そうでない人に分かれてしまうの?
って話。覚えてた?
それは、コミュニケーションが取れる人と、取れない人が居るから。


要約すると
今や調べる気があれば、殆どの種類の笑いを堪能出来る環境に
殆ど全員が、あるのに「つまらな〜い」とか軽率に言っちゃう
しかも、自分では何も創ろうとしない。努力をしない。
自分の事ばかりで、ヒトの気持ち考えていないよね。
私だけは、分かっているという前提を、後付けでキャラ設定したい
だけでヒトの気持ちを不愉快にさせている。
そして、それが恥かしい事(知性)だと、気が付いていない。
かたや
自己表現の下手な、面白い奴が作ったモノまで
理解出来るキャパ(余裕)何て持ち合わせていないから
「あなたが分からないだけでしょ」と切り捨てる事で
私だけは、分かっているという前提を、相手に植え付け
「モテタイ」と思っているのに、その気持ちが空回りしている。
しかも「モテタイ」から「オタク」だと思われたくもない。
自分のキャラ付けの為に、ヒトを不愉快にしているよね。
そして、それが恥かしい事(知性)だと気が付いていない。


相手の気持ちを無視して、自分の格好を付けるという目的の事しか
考えていない=他人との接触(コミュニケーション)が上手くない
そしてそれが恥ずかしいと気が付いていない。
バカだから
そこが分からないと言う事は、モノを創ることが上手くないと言う事。
(そのモノを面白いと伝える事=コミュニケートが下手という意味)
つまり、相手のことを考えて、笑いという末端のコミュニケーションを
創るのが上手くないし、それに対する努力はしない。
更に、そういったものは、格好が悪い。「モテナイ」と思っている。
要するに、コミュニケーションが上手く出来ないヒトは
面白くないヒトと言う事だ。
長くなったね。

第二章 笑いを創る その5

笑いなんて、やる気になりゃぁ、金も時間も使わないでどうにでもなる。
何てことはディスコミュニケーションのヒトには通用しない。
努力をする事が「モテナイ」と考えているから。
だから、面白くなれないんだよ。バカなんだよ。
はっきり言って、伝わらないモノなんて、意味ナイ。
人間が作るものの、最終系として人間ってのがあるわけで
その人間に伝わらないんじゃ、その時点でアウトなの
お前は、伝える努力をしないといけない。
自己表現(コミュニケート)が下手だから面白くない
と、思われてしまうんだよ。
他人にオナニーを見せる努力をして下さい。
そしてそれが恥ずかしいと気が付いて下さい。
それが面白いを創るスタートラインです。
そこからも逃げるのなら、あなたは一生面白くないヒトです。
あなたは、大丈夫ですか?
よ〜く考えろよ。

コレに対する、返信です。

Re: 笑いについて

はっきり言って僕には難しい問題です。ちょっと『笑いを創る』とは
外れてしまうかもしれないけど、失礼します。


「笑い」は、人間の心身の問題として、人間関係の問題として
重要だと思う。出会いは、その人の「笑い」を作りやすくする。
そしてその笑いが出会いを生むこともある。
ただ、それで「笑い」の表現がダレでも上手いわけではない
と言うのも事実。


一つの教室があってそこで「笑い」を表現できる奴がいれば、
そいつの回りには必ず人が群がるし、そいつは1つのグループ
だけでなく複数のグループに所属できる。その、群がった人は
上手い「笑い」を表現出来たり、そうでなかったりいろいろである。
ただ、そうでない人だとしてもそこから幾らかの「笑い」を学び、
表現しようとする。


教室にすごく閉じこもったヤツで回りのグループから外れてしまった
やつがいる。
そいつは、例え「笑い」が欲しくてもそのまま閉じこもりでいるやつ
が大体である。それは回りから話し掛けられてもである。回りはそいつ
との接点を見つけられないから会話もすぐ止まってしまうのだ。
もし、話し掛けた側と掛けられた側に会話が弾むだけの何らかの
接点があれば、そこに「笑い」が出てくる。
ただそれは閉じこもりが自分で「笑い」を創ろうとしたわけではない。
ほとんどが飽くまで話し掛けた側提供の「笑い」なのである。
それに閉じこもりがこのあと「笑い」を創るのも考えにくい。


では、それ以外に閉じこもりが「笑い」に接するにはどうしたらいいか?
それはやはり、自分が表現するほか無い。例え今までの生活の中で
どんなに「笑い」を知らない自分ができていたとしても自分で表現
しなければならない。
その表現力を学ぶには最初に言った人との出会いが一番である。
僕でも人との出会いが自分を変えた、「笑い」に近づけてくれた。
そして、その人との接触のあと、自分がどうするかという努力次第で
どうにでもなるはずである。


すいません。なんかここでの『笑い』自体からずれてしまった
ような・・・?

俺の返信です。

笑いという病

ども、早速のレスに感動しとります。


○○さんの言っている事は、
俺の話の核に触れまくっているので
全然ズレてもいないし
むしろ、キチンと通じていた事に安堵してます。


まず、その教室にいる「笑い」を上手く表現できる
彼の技術としては、「笑い」自体のパーセンテージよりも
コミュニケーションを上手く表現出来ている。
といった、パーセンテージの方が高いと思われます。
極端な事を言えば、その閉じこもりの方の
彼の方が、より高い「笑い」の技術を持ち合わせている
可能性だってあると言う事です。
ただ、どうでしょう実際の「教室」といった
仮の社会(シュミラークル)に於いて
彼は、面白いのでしょうか。
○○さんの仰っている通り、彼は上手く
「笑い」を創れていないわけです。
つまり、その彼と彼の違いは「笑い」よりも
「コミュニケーション」に問題が在ると言う事です。


さて、ココで問題が生じると思います。
閉じこもりの彼が、今後「笑い」を創ろうと思わないだろう
という、実際問題です。
そして○○さんも指摘しているとうり
>彼が笑いを創ろうとしたわけではない
と言う事です。
技術としての笑いを、今までの生活の中で学ぶタイミングは
多々あれど、彼のように学べなかったのではなく
学ばなかった人達に向けて、訴えています。
彼らに向けて、俺が言いたいのは、
技術としての笑いはこんなにも簡単なのだから
技術としての笑い(コミュニケーション)を身に付けてみては?
と言う事です。


彼は教室に一人で居る時、何も考えていない筈は在りません。
より、嫉妬と憎しみがあった方が普通です。
彼は、将来的に活字、映像、舞台、絵画、音楽、アニメ、学者、サラリー…etc
他の人より一人で居る、暇な時間が多いのだから
他の人よりもきっと、野心的に考えている筈です。
その場合、彼は、当然コミュニケーション表現にぶつかります
現在の日本に居る限り「対ヒトへの表現」という問題を
逃れる事は出来ません。何かの分野に於いて彼は
天才的な才能を、持ち合わせているかもしれないのです。
それが、そこ以外の障害で、
(この場合は、上手く自分自身や作品をプレゼン・アピールできない。)
表現をする場を与えて貰えないのでは
あまりに可哀相では在りませんか。
だから俺は、遅れすぎた第2世代として
勿体無いから、今の内(嫌でも、回りに人が居る内)は
「コミュニケーション」を磨きなさいと言いたいのです。
そして、そうでないと面白いものは世の中に溢れない
という、俺自身の為でも在ります。
基本的に自分の為に、人に優しくという心積もりなので


ホントはコノ内容の文(第二章 笑いを創る)は
載せないつもりだったのですが
ある方に指摘を受けまして、まず大前提が伝わっていない!
と思ったので、あえて載せました。(この異様な長さもその為です)
だから第二章は実は第0章なのです。
その上で「第一章 人気者」を読んで頂けると
より、内容が伝わると思います。
「第一章 人気者」は例えばこんなヒトやってみれば?
といった、投げかけなので、是非試して欲しいです。
長くなりましたが、レス有難う御座います。
分かりやすく、書けていればいいのですが…

と、まぁ、こんな感じです。
より、抽象的で、今の文体に近いですね。
今回は、多少、手を加えました。
文法がめちゃくちゃな所の、てにをはをいじった程度ですが。
ここら辺も、文体の変化の転機でしたねぇ…
いやはや、俺って自分大好きだな。
コレを書いてから、5年近くたっているので
考え方も全然違うし、
めちゃくちゃ、自分に突っ込みたいですが
インターネットを始めて、
ここら辺で、色々気が付いたり、悩んだり
コミュニケーション能力について考えたりと
現在に繋がる、指標としては
とても重要な、文章でし。


最近よく見かける、コミュニケーション能力についての文章や
非モテについての考察は、
自分の中で、5年くらい前のテーマだから、
あんまり、乗り気じゃなかったのかも。
それでも、未だに資本主義で生きる為の
コミュニケーション能力や、
非モテの行動原理、存在意義は
この大前提から、はみ出ていない気もする。
そして、踏まえていない所が多い気がする。