DO IT YOURSELF

えー、色々在りましたが。すべてが終わる前にまた始まってしまいました。
どうなんでしょうか?やっぱり正常な頭を持っている人は、何かオカシイ?
って気がしていると思います。
が、何もおかしい事はありません。昭和も明治も、江戸も室町だって
ずーーーーーーっと、彼らは居ます。
人間はいつの時代だって、その内部に不安定な細胞を抱えているのです。
ある人の調べによると、未成年の犯罪は
戦後まもなくに比べて徐々に減っているそうです。
まぁどう考えてもその時より、今の社会の方が、安定しているはずですよね。
戦後のどさくさとは、よく言ったものです…


と言う事は、今語られるべきなのは、それ自体に言及する事ではない
コトのように思われます。
何がおかしいのか。何が変わってしまったのか。
それを問う事を怠ったまま、議論を転回する事は、
やはり賢明では無い様に思われます。
聡明な方はとっくに気付いているのかもしれませんが
俺は、頭が悪いのでよく分かりません。


事件の起こる背景が変わってしまったのか
事件の起こる土壌が変わってしまったのか
事件を起こす動機が変わってしまったのか
事件を起こすまでの順序が変わってしまったのか
事件を起こすまでの思考が変わってしまったのか
犯罪そのものの価値が変わってしまったのか
犯罪に対する付加要素が変わってしまったのか
それを教える人が居なくなったのか
それを知る権利を失ったのか
それを知る義務を放棄したのか


俺が思うのは、と言ってしまうのは、決して賢いやり方ではないのですが
俺は、犯罪を起こしてしまう人に限らず
俺の年代から下の人に等しく感じる傾向なんですが
想像力の欠如を感じます。
簡単に言いますと、面白いやつが減ったと
そのくせ簡単に一線を超える軽率さを
クールにこなす事が、ある種カッコイイモノとして捉らえられてはいないか?
格好をつける前に演じる、という行為はいつから美徳じゃなくなったんだ。
受容する側に限らず供給する側も、想像力の欠如と言った問題に
合気道のように受け流すのではなく(某大手ゲーム会社のように
真っ直ぐに回答を示さねば、彼らは気付かないだろう。
誰かの様で、とてもイヤなのだけれども
サブカルチャーが引き受ける問題から、サブカルチャーが逃げてしまっては
それを受け入れる年代達が、回答を得ないが為に
形として、答えを無作為に掻き回してしまう事に繋がるような気がするのだが


やはり、ZEEBRAの言うリスペクトと言う言葉は
元々あった、HIPHOPのすばらしい面を置き去りにしたまま
リスペクトしろ!に変換され、馬鹿素直に受け入れる少年の
CDラックから、自由と想像力を奪ってはいないか。


村上隆のオタクアートは(後スーパー歌舞伎とか)、オタクの可能性を広げると言うよりも
外のオタク関係者の内輪受けにとどまらせ、
アートの実験精神を奪い、オタク達を
更に秋葉原など(いや、部屋か)に隔離する危険性を孕んではいないか。
日本経済の根底を支えている、と言われている
消費する側のオタク達に、村上隆がすこぶる評判が悪いのがよい証拠だろう。
節操無く、カッコつける所は、オタク達の鼻につく。
松本人志?はぁ!?
バトルロワイアル?はぁ!?
くるりスーパーカー?はぁ!?


どちらかと言うと彼らの無邪気さは、
犯罪を犯してしまう側にわざとアプローチをしている様に
見られてもしょうがないほどの無邪気さだ。


無邪気な大人は、無邪気に子供達から自由な可能性と想像力を奪っている。
80年代の遺産・90年代からの置き土産は
時代の延命措置としての機能しか持ち得ないのか?
それとも最後の砦。打開作なのか。
親や社会。教育問題を犯人にするには早すぎる。
供給する側が、被告の年代にシフトチェンジしている今が、
最後の曲がり角なのかもしれない。
Do It Yourself