体験するアイドルから音楽とダンスについて3 -進化-


体験するアイドルから音楽とダンスについて1
http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20110326/1301142693

体験するアイドルから音楽とダンスについて2
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続いてフォーメーションを進化させたモーニング娘と、振りを進化させたSPEEDの話になるのですが、振りと言われて即座にイメージするのは手の動き。これはパラパラやオタ芸・V系の咲き、竹の子族まで遡れるファンパフォーマンス等が顕著で、おニャン子クラブWINKが想像しやすいかと思います。些か暴論ではあるでしょうが、SPEED・モー娘以前は、ほぼ手の動き=振りと言っても過言ではなかったのではないでしょうか。



SPEED・モー娘以降、何がそんなに大きく変わったのかというと、大まかに言って裏で自然と泊を取り、それ以前の手で行われる振りから、腰でリズムを取るダンスに変化するようになる。これはSPEEDをイメージしてもらうといいでしょう。そしてダンスが手から腰になることで、ダンスと音がシンクロしだし、変な言い方ですが、楽器をもたないアイドルでも曲を体で演奏しだすようになります。



余談ですが、こういったユースカルチャーシーンの素地には、ニュージャックスウィングという新しいステップの流行があり、DADA LMDやダンスダンスダンスといった番組が生まれ、ダンス甲子園という大人気企画がお茶の間への波及効果を産んだのが90年初頭。ここからサブカル的にも多くの固有名詞が存在しますが割愛して、DA.YO.NEや今夜はブギーバックとdj hondaの帽子が90年代中盤。同級生でダンスの練習してる子とかいましたね。またこの時期avexがR&B部門を創りだしたとも言われています。



またこのような流れから、SPEEDを純然たるアイドル定義に反するものとする、純アイドル史観というものもお有りかと思われますが、そこを切って話すと実は今の多くのアイドルが切り取られてしまうほどの影響力があったのもまた事実と言っていいでしょう。


少しPerfumeの話をすると、去年出した「ねえ」という曲のパフォーマンスが振りまで足で行っていて面白かった。前述したとおりPerfumeはフォーメーションの部類に入れてますが、大人数で同じダンスを踊る振りや、一矢乱れぬフォーメーションが注目を集める中、ダンスの変拍子とでも言うようなディレイするフォーメーションで、シンクロしてないんだけど、時々シンクロしているように見える変わったパフォーマンスをしてました。以前ポリリズムって曲も出してましたが、こういった音楽的なダンスの目線で見たことがなかったので、それまでの手の振りに比べて、音楽と格段にシンクロしたダンスの一つなのかも知れません。



フォーメーションは言うまでもなく下半身のダンスですが。このような話から、リズムが手から腰、足へと徐々に下に降りてくるにしたがって、パフォーマンスが少女から大人へと成長していくようにも見えます。そして演奏しだすダンスは自我の発見でもあり、アイドル性と引き裂かれる身体という話になっていくのですが、フォーメーションを進化させ、体を人間とキャラクターに引き裂いたモーニング娘。の話です。大まかな話なので細かい歴史はググッてください。


TV番組でロックヴォーカリストを探す企画から落ちたメンバーでデビューを目指す彼女らは、現在ではデフォルトになっている物語演出の走りと言われていますが、この時点ではポケットビスケッツ辺りの企画物との間に大きな違い見出せません。曲に関しても「モーニングコーヒー」等は純アイドル路線を、大きく逸脱しないですし、「LOVEマシーン」以降のアイドルファンクの前提(と、合いの手コーラスの内在化)を決定的にしたグループとまでは言えなかったと思います。
これ以降もTVをつかった物語化は激化し、キャラクターが、正史・楽曲に跳ね返ってきたり、身体そのものを音源に落としこむ、現在まで連綿と続くキャラソン化の土台を広く解釈したグループであることは間違いないと思います。しかし、個々人のダンススキルこそ秀でた才能を感じさせるものではなく、フォーメーションを進化させた何かは、やはりここでもTV的物語演出による入/脱退の激しさが遠因になっているのではないかと思います。


例えば「恋のダンスサイト」で有名なセクシービーム等の小ネタは、いくつかの入/脱退を経て、矢口真里から後輩へ脈々と受け継がれ、キャラクター的身体の流動性と人間的身体の深刻な乖離を促し、セクシービームはコピーされ増殖していきます。



モー娘は、日常的入/脱退を受け入れることで、メンバーがどんどん記号的になっていくわけです(そして記号的身体とプロトゥールズの相性の良さが発見される)。しかし人間的身体は、ファンに取ってみれば掛け替えの無い存在であって、それは非情な物語化ともいえます。もしモー娘のフォーメーションが移動しない隊列であったら、その不在はより強調されたでしょうが、それはコピーし増殖していくセクシービームの文脈と意を反し、振り切らざる追えなかったのではないかと自分は推察しました。そしてその非人道的キャラソン化が、結果的にフォーメーションの進化を皮肉にも、促進させたのではないかと思うわけです。
以降ここが基本にされてしまうと、グループアイドルが冷え込んだのもあながち複雑化したフォーメーションと関係ないこともないかもしれません。



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