ももクロちゃんとかまってちゃんと怪盗少女と魔法少女 かまってちゃん編


打って変わってかまってちゃんは、脳みそフル回転させられた
かまってちゃんをどうやって咀嚼するか
攻めても攻めても掴めないで逃げていくパフォーマンス。
ももクロちゃんが、画面越しとはまた違う壊れゆく身体性を
印象づけるステージだったのに対し
かまってちゃんは画面自体をステージ上に持ってくる
画面越しと殆ど印象を変えない、
実存感の薄い嫌味のパフォーマンス。
それは、PCのモニタはかまってちゃんを
ケの日=日常に引き止める生命線だから


ももクロちゃんが完璧なハレの日なら
かまってちゃんはライヴなのに
ハレの日を拒否するパフォーマンス。
ももクロちゃんが魂をソウルジェムに詰めて
紅白に出る夢を叶えてもらうため
魔法少女になることを引き受け
エクストリーム表現を可能にしているのに対して
かまってちゃんは
魔法少女の素質があるよ」
と言われても、ゼッタイに魔法少女になることを拒否する
ゼッタイに日常から乖離しないパフォーマンス。
一言でケの日をステージ上でしてしまうと言っても
ライヴをハレの日にしない表現というのは
基本的に矛盾していて、そんな事可能なのか
お金を払って日常を見せるパフォーマンスで
お客を納得させるって可能なの?


とは言え昨日のかまってちゃんは
配信の場で遊んでる感じが薄く
ライヴの肉体性→非日常的快楽=音楽ぽさが
前に来ていて、
こりゃあどうなるかと、目が釘付けになった。
これは当たり前だけど
どんな奴だってずっとやってりゃ
多少上手くなっちゃうんだよね
そのせいで一見「ロックバンド」ぽい気がした。
例えば、ぐだぐだなMCとか
何の発展性もない客とのやり取りとかの中に
「映画見なくていい、俺が映画だから」
といった、
ロックスター・パロディのような言葉が出てくると
それが少し似合っていて、
客もまあカッコイイと思ったんじゃないか。
そういった音楽フォーマット・ジャンルに押しこんでしまうと
決して上手くもなく、
曲構成もハッとするアイデアも歌詞を除けば限定的。
(自作PVのセンスがまたアレな感じでいいんだ
ロック・スター然とした言語は
ベタに受け止められたら物凄くダサい
近いのはコント「ロックスター」。
このように手持ちのカードは糞弱いんだけど
それがの子っていう
キチガイの振る舞いというレイヤーが挟まることで
めちゃくちゃギリギリ成立する後半戦へとなだれ込む
この塩梅がめちゃくちゃスリリングだった。


なんか、アンサンブルになってたから
ロックバンドぽかったけど、
の子と友達がたまたま音楽やってるだけで、
キチガイに聖性を貼りつけて
勝手に成立させてるのは受け手の側。
そう言う視線を拒否するように
ロックンロール〜をやらなかったのは大正解
もう飽きたでしょ(やる側が
本来なら、ももクロが7曲連続といった
足し算のパフォーマンスをカマしてきたのだから
2曲くらいで帰って、怒った客と殴り合ってライヴ中止
次の日のナタリーでニュースになる位で丁度いい。
ていうかそれで
どこまでいけるんだっていう話じゃない


友達が遊んでるのを金を払って見るっていう、
言葉はアレだけどコンセプチュアル・アート的側面を
のぞき見ワイドショー感覚で楽しむ部分ですよね、いわば。
アート作品「ロックバンド」っていう。
それに対してももクロちゃん
アイドルがすごいアイドルのパフォーマンスをして
突き抜けたのだから
この2MANを通して共通する何かが見えるか
というのも、一つの見所だったんですけど
別物ですよねこれは。
強引に共通点を見つけるなら、
ニコニコ動画性と、
替えの効かないという幻想に対するアプローチを
全く逆の、端と端から突き詰めた
ステージだったのかもしれない


最後手を上げて「死ねー」って言ってる時
気持ちよかったじゃねえか、ちくしょう
どうなっちゃってんだよ