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神聖かまってちゃん

Music OTAKU Web


ここ数日で、言及を眼にすることがグンと上がったので、もうそろそろ一気に火がつくのでしょうか。そんで、の子さんのあれやこれや(FakeだRealだ等)について、議論?みたいのがあったりするんですかね。大体は最初「ロックンロールは鳴り止まないっ」に引っ掛かりがあるようです。



僕はキーボードの音色が、初音ミクだなと思いました。女の子の存在もNUMBER GIRLスーパーカーと言うよりもニコ動の枠内なのだなと思いました。僕が一番なるほどと思ったのは、ニコ生のインタビュー(http://www.nicovideo.jp/watch/sm8817257)。なによりポップだし(要所要所に笑いのポイントが有る)。磯部さんが何気にいい仕事してる気がします。やっぱ、あの長方形の中の物語だと捉えるのが一番しっくり来るのかもしれませんね。ホントニコ言及的な、面白いインタビューです。


それと語られ方が、必然的にPerfumeに似ると思う。そもそもネットでフックアップされるってのが、そういう事なんだろうけど。神聖かまってちゃんについても、曲について沢山語られるだろうけど、最終的に興味が注がれるのは、の子さんのパーソナリティなのだと思うんですね(Perfumeの場合アイドル性。それを隠すかのように音楽について語り、結果思わず自分語りになってしまう)。いや曲と作曲者を切り分けて語ってもいいですけど、多くの場合切り分けられないと思います。いやいい曲だと思いますけど。普通のロックなわけだし、ニコ動的(初音ミク的)な曲ですよね。んで、フックアップされるのが、マニアックなアイドルだったり、ポップなキチガイだってのが、人間の醜さがむき出しにされてるなぁと。


商品としての音楽は売れなくなってきていて、Liveだとか体験や共感型の消費に…って話をよく聞きますが。それを自分は興行の話と置き換えられないかなと考えました。ニコニコも興行だよなぁ、なんて。俺の中にある答えは、ここここで殆ど書いてしまっていて。そもそも興行ってのは人の「挫折」を見に行くもので(成功は挫折までの伏線)、対象から自分を相対化させて、自分と向き合う作業。人の「挫折」を見たがる観客の心が一番醜いっていうのが僕の考えで、そういう醜さをむき出しにさせられる素晴らしさが興行の良さだと思う。例えば、対象に感情移入したり、同一化したりもするけど、夢を掴みかけたら一転して「努力なんて報われないでくれ」って、ゴミみたいな人生を見返してやる度胸がない人間は祈ってしまう。そういう人間性がむき出しにされる所が興行っていう。


Perfumeでも神聖かまってちゃんでもベッキークルーエルでも(ポール・ポッツでも、スーザン・ボイルでも)、なんでもいいけど、フックアップされた対象っていうのにネットの風土と言うか、一人ひとりの醜い人間性がべったりと貼り付いて見える気がする。興行って言うのはそもそもそういうものなので、それ自体が良いとか悪いではなくて。だから神聖かまってちゃんも、良いとか悪いって言うか、興行って言う消費形態の話であって、実際に消費してるのはむき出しにされた観客の方だから、本質的な感想や批評って言うのは、彼らの客がなんで神聖かまってちゃんを見たいのかっていう話になると思う。


でもこう言ってしまうと、そもそもインターネットっていうのが、全てを客にしてしまうもので、コミュニケーションを使って、興行論が語られてるとなって。市井の人間に言論を与えたら「まず」人間の醜い部分がフックアップされて露にされてくってだけで、Twitterでもそうだし、2chでもそうだし、YouTubeでもそうだと言うことになっちゃうかな。対象は空っぽで、相対化される鏡としてのメディアっていう。ならばネット発っていうのは、会社で育てていくんじゃなくて、興行によって客が育てていく育成ゲーム…って誰でも言ってそうだけど。


以前にも書いたことがあるけれど。の子さんにとってはロックンロールがセーフティネットになってるのかもなぁ。格闘技で言えば青木真也。ステージに上がる側と、それを見る側に本質的な差異が見えない。ステージ上から君らのものだと言うわけではなく。ステージの下にいた人間が、そのままなんの脚色もされずに、うっかりステージに上がった印象。怒られるかも知れないけど、加藤智大の事は正直思い浮かべちゃうな。どちらも、そうせざる終えなかった背景が見えすぎる。