ビジュアル系というセーフティネット


ビジュアル系はその名の通り、
派手な装飾や、カッコいいルックスが売り物になっている
「男性グループ」である為、その殆どを女性のファンが占めています。
そして女性の集団ではありがちなのですが、
上下関係や、小さなグループ内のルールが
その集団の結びつきを強くしている傾向があります。
これはクラブ活動であっても、不良グループであっても同じで、
ビジュアル系のファンのグループが特殊なワケではなく、
家族という集団からひとり抜け出して
社会へコミットする為の通過儀礼的な意味合いがあります
 (この時期を、擬似家族と定義します)。


また集団において、特殊な個(変わった人)は排除される傾向にあり、
個性的な人間のような目立つ行為は、心理的に抑圧されます。
その場において、自分の為に格好を付けて振舞う行動は、
空気を読めない存在として、浮かび上がってしまうのですが、
ビジュアル系は、格好付ける事が構造に組み込まれているため、
抑圧された自我を開放でき、
少し変わった人が、自我の抑圧を緩和するために
のめり込む傾向があると言えます。


そしてこれは個人的な偏見なのですが、
そういった少し変わった自我の形成には、
家族と言う集団に、適量の癒しが存在しない場合に、
人よりも早く家族から社会へのコミットを促され、
未成熟なまま家族以外の人間と関係を築かざるおえなくなり、
他の娘に比べ、家族に求めるべき関係性を擬似家族に求め、
集団の中で「変わっている」
と人から見られてしまうのではないか、と考えています。


つまり家族に甘えることが出来なかった、
不幸な自分の行き場の一つが、
ビジュアル系なのではないかと言うことです。
何故それがビジュアル系で無くてはならないのかというと、
現実と非現実の距離の話になります。


ビジュアル系の特徴といえば、非現実的な過剰さ。
メイクや歌詞やアートワークの世界観は、
現実逃避の装置として優れた機能を持っています。
例えば、怒りや悲しみを表現する時に、バンド側が肯定するのは
バンド→あなたの場合が多く、
その関係を除けば、
現状への違和感や、否定が多く見られます。
とても大雑把に言えば
「あなたの今いる世界は間違っているが、あなたは正しい」
と言っているわけです。
家族から得られなかった安心感や、
擬似家族に拒絶された経験は、
自分の存在を否定された経験として蓄積され
自己の抑圧を促し、
集団生活における自我の成長を歪めてしまいます。
そうして、一度は否定された世界を無条件で肯定してくれる世界が
ビジュアル系には用意されているのです。


また、そのような境遇で集まる人間は、
お互いに心に傷を持っているため、変わった人を受け入れやすく
過去の擬似家族でえられなかった安心感と
大人のいない世界での冒険といった成長が促されます。
これは、自分の言動がダイレクトに個人に返ってくる、
という社会的な側面と
少なくともビジュアル的な世界観においては拒絶されないという
子供っぽいわがままの両方を同時に得られる経験であり
過去の経験と比べ、天国のような多幸感を感じるのかもしれません。
逆に、私の方が不幸である。という主張がバンドへの愛であるという、
間違った愛の転倒が見られるのも、その為ではないかと考えられます。
しかし対象を絶対視することで生まれる
関係性の捻れは、ビジュアル系に限った問題ではなく
どのような局面でも現れる傾向です。


つまり、一度、擬似家族からドロップアウトした人間を受け止める、
セーフティネットとして、ビジュアル系コミュニティは機能していて、
その擬似家族から社会性を学ぶ、
社会へ入り直す為の一種のステップだとも言えるのではないでしょうか。