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日記

創作

突然なんすけど。どうしてもね、芸能人なんてメンタリティを抱えた人間が、あんな感じのブログなんかで満足出来ているなんて、とても思えないんですよ。B級以下でなんかやってる人は沢山いますよ。めちゃくちゃいますよ。でもそこ以上になると、途端に見かけなくなるわけです。そーなったら、答えは簡単。我慢しているか、名前を隠してブログか何かやってるに決まってるでしょうに。絶対いるよね。っていうか、今後どんどんそういう事って起きるでしょ。そのー、素人時代からやってるブログみたいのが。だってオーディションとかさ、10代で受けに行って…あー自分で受ける人ね。そんで、私を認めて下さい。どう綺麗ですよね。話もうまいでしょって。いやこれは掛け値なしで凄いよ。全然馬鹿にしてない。昔、友達のそういうオーディションについていったことあったけど。結構面白かったというか。その頃はASAYANもまだ、金萬福とか中野裕通とかがやってる感じで、全然オーディションのイメージとか無かったし(誰かオーディション番組の歴史とかまとめてる人いないのかなぁ?)。変な居心地の悪さとか、なにこれなにこれ。って感じで、意味も無く口元が緩んで、ぷすぷす息が漏れちゃうようなね。勿論、君友達?ちょっと話しいいかな。なんて事は、一ミリも起きないわけで(そーぃう話は聞いたことあって、頭のどっかで考えてた筈だけど)。いやね、マジ凄いって思った。その会場の中にいるほぼ全員が、自分を見てもらうために、一生懸命がんばるですよ。受験や就職だって一緒っちゃー一緒だけどさ。その頃からしたら、同い年とか年下の男女が、凄ぇパワーで自分の話をしてる、芸能界とかうふふ程考えたこと無いけど、絶対無理だと思った。あいつ等ぱねーよ。で、最初に戻るけど、そんな奴らが、あんな感じのブログで満足できているなんて、とてもじゃないけど思えないんだよね。超手軽じゃん。自分でもすげー長文とか書いて、私を分かって。みたいな感じ絶対あるけど、普段誰にも話せないようなことを、一方的であってもコミュニケーションするっていう気持ちだと思うのね。なんつーか分かんないけど、話ってしたいんだよね。多分。もうさ、時間が足んないんだよ。時間があれば、この文章も一生続けて書ける気がする。一人でいても、角に小指ぶつけたりしたら痛いっつって。それ誰に言ってんだ。みたいな。それって人と会って話している時でも感じるんさ。独り言コミュニケーションみたいなの。自分がそうなってる時もあって、あー全然会話でもなんでもねーなーって思うけど、お互い独り言みたいなの、それでも全然いーんだ。全然会話らしきものって成立するんよね。もちろんあっちゃこっちゃに、分散されて、さっきの話もちょっとしたかったなとかあるし、実際に無理やり繋げたりもするし。もちろんなんか討論してる番組とか見たら思うけど、人と人が話し合って何か分かるとか、それよか解決するなんてファンタジーな訳っしょ。まーあんま見ないんだけど。そもそもさ、話してる内容如何にかかわらず、文法とかルールみたいのが違うんだよね。みんな。でもなんとなく、かーいわみたいなさ(手を広げて大きい丸を描く動き)。で、それが似てたり近い人とは、最初は面白かったりするけど、結構繰り返しだなーとか思って飽きちゃったりするよねー。だって全然違う別の話でも、音の上がり下がりとか、文脈のリンクさせ方とか、なにがなにでなにでしょ。ルールを聞かなくても分かるっていうか、全部この人間の感じ方っていう同じ話なわけだからさぁ。格闘ゲームの連携の癖とか(?)。その人間の方程式が分かると、全部分かった感があるじゃん。ないっすか。ラプラスの悪魔が耳元で、もうよくね?って囁くんだおー。たまーに、内容はどこかから借りてきたか、どっかで仕入れてきたもので、全く文脈を問わないで頭を使わないで、だーっと繋げて喋って、ただそのリズムとかテンポとか、音階とか、面白オーラとか、あーグルーヴ。そうそうグルーヴだけにフォーカス合わせて、気持ちいいっ!超ーっ気持ちいい!!みたいなこともあるよね。電気グルーヴって、名前は言いえて妙で、ホント電気(と言葉)で作る(リズムとかテンポとか、音階とか、面白オーラ)グルーヴだよなぁって、聞くたびに思う。ちょっと話し変わるんだけど、こういう感じのどこかからか借りてきた文脈とかって凄い好きで、全然そんなこと考えてもいないのに、なんか話の雰囲気が近いものに合わせて、どっかのなんかっぽい、あるある感しかなくて中身からっぽの話を、あっ今だ。ってタイミングをつかんで、その誰かになって喋るのも楽しい。取りあえずまとめた後に、なんだこれwって思うけど、さすがに。そんときにさ、自分が気持ちいいってのと別に、リトマス試験紙みたいな、相手の反応を見るのもいーんだよね。例えば、お酒とか飲んでさ、全然脈絡無く涙とか出ちゃうときってあるさね。そーすっと、涙にまつわる雰囲気をまとって、実は自殺未遂したことあってさ…とかって言って(ねーよバカ)。そういう時の相手の反応ってすっごい面白い。っていうか、勉強になるんだよね。その相手がどういう人間か、普段の会話じゃないから、広いレンジで見れてるような気になれて。これって言い換えたら…うーん言い換えなくても嘘の部類に入るよねきっと。でも場の流れに逆らわないで話すと嘘になるよね。相手が話せる話せないにかかわらず、ってか、相手がいてもいなくても。自分は嘘でもホントでも、面白い事の方にアドバンテージがあるからなのかもしれないけど、嘘とかどーでもよくて、楽しい時間にフォーカスはあってるわけさ。あっそれで思い出した、あのーご飯ってさあるじゃんw。味が濃くてオカズになるものが好きな時と、色んな味を楽しみたい時ってあってさ、これもさっき書いた、嘘とほんとの話しだよね。味が濃くてオカズになるものが好きな人って、白米至上主義で原理主義者でしょwどれだけ美味しく白米をいただくのか。ゆくゆくは腹を満たすのか。で、色んな味を楽しみたい時は、後を引かない薄い味の方が機能的で、美味しく白米をいただきたいのではなくて、白米もおかずと同じすーぱーふらっとで、むしろ白米はいつでもいけるんで、また今度でもいーっす。って感じじゃん。色んな味を楽しんで、へーとかふーんとか考えたりして、それって、ジャッジ方式だよね。色々食わないと、分からないじゃん。人間にもいーとこ、わるいとこあって、色々一緒にやってみてやっとわかるのに、自分の好きな話だけして、分からないなら合わないって、ずいぶんな話だと思うよー。っていう考え方。これだと出た判決は絶対くつがえらないよね。これって可能世界の話?ディケイド?ちがくね。あーし絶対つうぃったーあわないわー。