デブとドブスがコンブリオ

伊集院光深夜の馬鹿力でここん所やっている
「デブとドブスがコンブリオ」というコーナーを聞いていると
どうも考えてしまう事があります。


このコーナーの内容は、
 「デブ」や「ドブス」のシチュエーションを
 クラシックの調べにのせて読んでいこうというコーナー。
といった感じで、
まあ、伊集院の得意とする、映像喚起系のコーナーですね。
このコーナー内に出来上がりつつある不文律(?)として
伊集院の学生時代の映像というのが(当たり前ですが)存在していて
それが、親方系「デブ」や、おっさん「ドブス」への評価として
とくにここ数回は色濃く現れていると思います。


このコーナーのこういった不文律に触れるにつれ
自分は、自動的に喚起される映像があります。
それは「とぶくすり」という
めちゃイケの前身番組で行われたあるひとつのコントです。


まず、卒業式後の教室で男女が会話をしているという所から始まります。
光浦演じる女子生徒役は、不細工なんだけど気さくで男勝りのボケをし
 例えば、極端に顔を不細工にするような感じ
加藤が演じるカッコいい男子生徒は光浦のボケにひどく反応し
「お前ってホントに面白れーよなぁ」
というような内容のことを言います。
 正直はっきりとは覚えていないのですが、
 「女っぽくないから良い」
 というような内容も台詞に入っていたように思います。
しかしそこで、光浦演じる不細工女子が、
冗談めかして加藤に告白っぽいことを言い出す事で空気が一変します。
「なんだお前、ガッカリだよ!」
と加藤はいい、光浦を(たしか)突き飛ばします。
その後も加藤はガッカリだ、ガツコーリだ、ガツコーリ!ガツコーリ!!
といいながら、光浦を派手に突き放しそのまま去っていく
といったような内容だったと思います。


自分が「デブとドブスがコンブリオ」を聞いているときに
これを思い出すのは、
 「よっ!今日も抜いてっか!たまってんなぁ!」
と言うような親方系デブだって、恋をするという
当たり前だけど、都合の悪い現実を
逆説的に見せ付けられるからでしょう。


いや、ここまでくると、こういったデブやドブスの方がむしろ
ロマンティックな恋に焦がれてる筈だ!
というような、思想的右翼に偏りかねないくらい
このコーナーを意識してしまっています。
 嘘です


余りにナイーブに過ぎるのかもしれませんけど
ブスとかデブの女から女を引くと良い。
逆に女を意識しているような(させられるような)奴は悪い。
これって、カッコつきでブスの癖に、デブの癖にって事で、
それって、女の女らしい部分が苦手である伊集院の根底にある
 森三中の村上をディスるような感じ
自分はデブであるという自意識(転じてモテナイ)が肥大化した結果
自分が乗り越えた観念的なデブを、他人にも押し付けてるというか、
屈折した自意識が(伊集院が自身の体型を乗り越える為の困難)、
女性性を憎みすぎて、
女性性を隠蔽したデブやブスを過剰に評価してるというか…
まーそれ自体は、置いておいて(その屈折が面白いので
そんなつもりないんと思うけど
不文律化しているような感じをね、
勝手に俺が想像しちゃってるんだけなんですけどね。


俺はね、このコーナーというか、
映像喚起系の伊集院のテンションは好きなんすよ
だから多分、どんなデブもブスも(映像的に)大概面白くて
映像とのシンクロ度というか、
その映像自体の面白さの優劣以外の部分で
この女は良い悪いっていう、人間性に関する部分に
受け手によっては優劣をつけているかのように見える言い方が
ちょっと気になってるのかな。
勿論、人間性までが見えるから面白いんだけどね。


ただ…おっさんブスが、調子こいてたら
「無理すんな」「お前、赤西くん好きじゃん」
って肩をぽんと叩いてあげないと
とか考えちゃう自分がいるのも確かなんだよなー


あーあと、何かの漫画でおっさん系ブスが
ひょろい冴えない奴にフランクに告ったら
断られて逆上するってのを、どっかで読んだ気がする。
あれは恐かったな…