神様が宿る場所

評論てある種、詐欺まがい商法だし、
自分の中ではそれって、フィクションって事なんだけど。
物語がまた新たな物語を生むっていう
結構、普通のクリエイションじゃないか。
評論って結局の所、正解・不正解で価値が決まる
って考えている人ってたまにいるけど
評論ってそもそも正解・不正解って価値観から
凄く遠い所の仕事だと思うんだ。
それに異を持つ言論に
<素直に・純粋に・ただ楽しむ事>
というような感想文を感じるたびに、
作品の価値基準を純粋さであるかのように言いつつも
楽しみ方の多様さをスポイルしているという
ある意味ピュアで残酷な感覚を覚えます。


作品を作った作者の考えが<答え>で、それ以外は嘘。間違い。
って事なのかな。そんな考えてない作家も沢山いるけどなぁ。
駄作を輝かせるマジックを評論がかける時もあるし。


漫画家トレース問題も根底に
この作者絶対主義的価値観があると思うので、恐いと思うよ。
善良な人達の考え方と、(ネットで)動けてしまう行動力は。


プロレスじゃないけど、作家性の神格化って、
存在する(と感じている)時から無くなった瞬間は、
凄く絶対的で無くしたくないモノに感じるけど
終わってしまった事を永続させようとすると
ライフスペースになっちゃうんだよね。
神格的なものは好きだけど、現状を認識した上で
生身の人間だって事を受け入れなくちゃ。


ただ、何気ない会話上で、
絶対的なモノって在ると楽なんだよなぁ。
面接で趣味を聞かれるような感じ?