木村タクヤの憂鬱

月9のことを考えていたら、俗っぽい自分は否応なくキムタクのあり方を考えてしまった。キムタクって、一回トッポイ事やってトンガってやろうって時期があったよね。武田真治とかTV'S Highとか。でも誰もキムタクにそんな事望んでいなかったのか。「なんでキムタクがそんな事してるの?」って空気があった気がする。


その後に、ギターとかサーフィンとかを普通に公言するようになって。そしたら、あっさりうけいれられちゃった。正と負、両方の意味で俗っぽいキムタクを強いられてしまった。僕はあの変な時期のキムタクから、俗っぽく振舞った瞬間ってアイロニーだったんじゃないかと思った。「これだろ?」「こういう俺なんだろ?」って言ったら、本気にされちゃった。というか、そういうキムタクしか世間は受け入れる気がそもそも無かった。そこで、キムタクって心を閉じちゃったんじゃないかな。


その後数年のキムタクの言動って、ロボトミーだもの。工藤静香との結婚とか、影響してると思うよ。工藤静香との結婚って、過剰だと思うもの。
キムタクって実は色んな演技ができたかもしれないけど、しないのかもしれない。俗に言われる『一個の演技しか出来ないキムタク』って世間に対する抗議と、皮肉の結果なんじゃないかな。


多分キムタクってオダギリジョーとかジョニーデップ的な存在に物凄い憧れがあると思う。ああいう、演技もしたいと思う。でも、やらないんだろうな。今、オダジョー、ジョニデ的価値観が、今更受け入れられているのを見て、どう思っているんだろう。