僕と萌え

特に書く事が無いので、2.3年ほど前に書いたものをUPします。
時代も移り変わり、私の頭の中も変わってしまいましたが
まぁ、せっかく見つけたので。

「萌え」ってもぅ、流行ってるとかそういうレヴェルじゃないんですが
気が付いたら、感覚で分からない人を置いてけぼりにするような
スピードで浸透していき、多種多様に変化し
お茶の間で消費出来る位、になってるらしいです。


子犬・子猫の仕草や表情を見てた時に
感じる感情が<萌え>だと思っていて。
可愛らしいモノを、愛でる感情は<カワイイ>だが<カワイイ>はギャル語の要素が強いし、
俺の言ってるのとは、ちょと違う。という感覚から…とか
うをおおおおおおおお!!<カワイイ>!という感情を<燃える>と言い、それを変換すると主にこの→<萌える>
って漢字が出てきて、それで何となく
その字の雰囲気がピッタリ!…とか
俺が学生の頃に聞いたのは<セーラームーン>の「土萠ほたる」説。
様々な説が入り乱れていて、真実は闇の中らしい。
森川嘉一郎が言うには、
架空のキャラクターやその特定要素に対する疑似恋情を表す語。」
らしいが、これはちょっとどうだろう
ヴェネチア・ビエンナーレという冠が付くと
それなりのコンセプトの元に、何かに帰結できないと
それは、説明とは呼ばない訳で、
誰か(この場合外人や、日本の煩型)を納得させる為に、取って付けた。
と、いう印象がある。


そもそもオタクってのは『好きだ』と(態々)言う感情以外に、
あえて他人が敬遠するような、
キモイ方向に行く事を目的とする欲求(快感)をも含み
違和感を世に問いたい部分もあるので。
そこらもひっくるめて<萌え>というワードは革新的なドンピシャ感と
使った後の、気持ちや良さ(悪さ)、罪悪感・違和感が綯い交ぜになって
俺も使いたい!になり、更に
オタが<萌え>って使ってると、最高に面白い!
と、思う人たちが結構いた結果により
どうしようも無い位、当たり前になったり
当たり前にキモかったりするわけです。


多聞に洩れず俺も、人が使ってるのが、好きだったんだけど
今の<萌え>っつーワードの中に、オタクの要素でも在る、甘えも相俟って<一般人ぶるおたく>か<オタクぶる一般人>か
という部分で、一般化する<萌え>に、反発する様に
別の価値観が芽生え、キモオタ自体を消費したいメディアと
絶妙に重なり、結果的に消費するつもりの無い
地方や若いオタク予備軍を、駆逐するような
今的病理に、なるべく相対化しないように言及にしたいと思う。


話を少し、萌えからオタクに移行していこう。
オタクか否かといった問題は、そもそも議論のしようがない筈だ。
しかし、ここまで何度も繰り返されてきたオタク論とは、
それ自体が、オタクの特性を顕著に表している、と言えよう。
唯物論や、原理主義とも思えるその行動原理は
今までに比べ、個人から団体を支える様式に変容してきた。
それは、公になり、社会化し、普及し、
消費されてきた証拠でもあるのだが
逆に言えば、いづれ無くなるものとして、
社会化してしまった結果だと、言えるとだろう。
現状のオタクは、少し前に存在し
現在も存在しながら、酷使され、端に追い詰められた<援助交際ブルセラ>と<女子高生>を絡めた様式と、
告示してはいないだろうか。
それは、今のオタクが文化に触れる時に見せる
特殊なオーラと、態度に表れている。<萌え>と<オタク>とは<援助交際ブルセラ>と<女子高生><ルーズソックス>と<メイド服><アムラー>と<コスプレ>
とまあ、こんな事しても<OL>と<モツ鍋>だったり<女子大生>と<ヴェルファーレ>だったりするので
意味なんかないのだが、
そこに大きな勘違いがあると思う。
その責任の所在とは、消費体質だ。


文化とは、消費文化とごっちゃにされて
つかわれている傾向が強いが、それはとても恣意的で。
オタクとは特定の個人や、団体を指した共同思想で<萌え>と<オタク>の関係を顕著にすることで、
オタクを消費文化に見せかけているのだけでしかない。
それこそ、脳内補完なんてのは、逃避行動の一つでありながら
クリエイティヴで、お金を使わないまま、消費を出来る。
が<萌え>と<脳内補完>をクロスさせた途端に、
エヴァンゲリオンであり、AIRであり、月姫になってしまう。
これらも単体では然程、お金を使わないが
グッズといった形で、脳内萌え補完になってしまう。
形のあるものに意味を持たせると、お金が発生するというのは
風化した手法だが、表現が<萌え>という新キーワードになるだけで
企画書は通るもんなのだ。
この一番の危険性は、存在すること自体に意味があり
存在しないことには、意味が無くなってしまうことである。
しかも現状では、オタクとは、海外に誇れる輸出産業で
国に守られながら、アニメを商品として海外に輸出している。


宮崎駿 存在意味無 存在意味有 今までのオタク 
アニメゲームを商品を国策として輸出
空気を輸出していく レンタルショーケース リサイクルごみ箱
商品作品知的財産以外が文化でそれ自体が価値ではない。意味無
構造を想像し、文化を消費する。
モデルケース 部屋 コミケ 秋葉ショーケース

とまあ、こんな感じでラストは書きかけの状態。
その後に別に書いたエロゲーとキャバクラとか。
萌え格差の問題とかが、ちょこちょこ書いてありましたが、
中途半端な量だし、結局萌えの話題と
上手い事リンクしなかったの為か
今見ても何を書こうとしていたのか
全く思い出せないメモばかりで
まとめるのは、ちょっと難しそうなので
中途半端な状態ですが、多分続きません。