トサカ

究極超人あ〜る』内、登場人物『鳥坂先輩』を
何かの比喩で使うとき、そのバックボーンには必ず
マカロニほうれん荘』内、登場人物『トシちゃん』を
踏まえていなければならない。
それは、他ならぬ『鳥坂先輩』が『トシちゃん』に
憧れていたからだ。
これは「作者が」と置き換えても良いだろう。
しかし、その作者のバックボーンの違いこそが
『おたく』と『サブカル』という、
越えられぬ壁を抱えていたが故
その立ち位置を明確に断絶している*1
鳥坂先輩』になれなかったあなたには、まず
『トシちゃん』が見えていなかったのだ。
そこは、勘違いしてはいけない*2
そして『マカロニほうれん荘』を語るときに
少女漫画の存在と、つげ義春の存在を忘れてはならない。
ギャグ漫画を支える、重層的な背景が
読者を引率する時代は今や昔。
古谷実がその担い手であったが故
鴨川つばめのように、アレと目が合ってしまったのは
運命脅迫とでも言えはしまいか。
学生時代に、強烈なギャグ漫画が在ると無いとでは
格段にその人格は違う。ギャグの傾向でも、それは別だ。

*1:『おたく』から『サブカル』への目線は、現在にも流用出来る、マッシヴな大前提である

*2:勘違いされたまま比喩されているが