人ゴミに紛れて

ずーーっと昔から不思議に思ってた事があって
感覚的にだけど、最近それに確信を得ました。
それは、人ゴミが嫌い(苦手)と明言する事。


しかし、人ゴミが好きな人なんて存在しない。
だから、人ゴミが嫌いという
属性プロフィールも成立しない。
それでも言いたい、と言う事は
我慢している人から見たら、
誰でもそう思っている訳だから
ただの我侭だという印象を与える。
またそれを意識的に*1、行っている場合
自意識を第三者に共有してもらえないと
アイデンティティや自尊心やプライドや自立心が
満たされない、困ったちゃんである。


しかし、人ゴミが嫌いと言う事は
なにかの担保を得ているのか、誰でも彼でも使う。
俺のよく読む、音楽雑誌や格闘技専門誌でも
毎回の様に目に入る。
いつから、人ゴミが嫌いだと言う事が産まれ
市民権を得たのだろうか。
まるで自分の中の
何かの価値を上げているつもりなのだろうか。
それとも、コミュニケーションスキルが低い事を明言する事で
そういうタイプなんでヨロシク(メカドック)なのだろうか。
それでは、そのままアファーマティヴ・アクションではないか。
(積極的差別是正措置。転じて逆差別的価値観)


『空気読め』とか。腐るほど見かけますが
空気読むことに、オブセッシブな社会を批判する時に
(コミュニケーション能力が重要視される世の中は嫌だ)
逆差別的価値観は、どの程度議論されているのでしょうか。


NANAを見ていたら、そんな事を考えていた。
俺はこの漫画、駄目だ。
俺の嫌いな、少女漫画の要素が全て入ってる。

*1:どうせ私、我侭だもーん