いじるという評価

下手な人に弄られても、面白くはないだろうが。
悪気が無いなら、その人の自尊心を
剥ぐようなマネはしない。
面白いという価値感に置いて
弄るという行為は、最大の賛美なのだが。
何か、俺を変な感じで笑っている
と、とられている事が多々在るようだ。


自分の知らないアングルに戸惑う事はあるだろうが
三流の馬鹿に弄られて、馬鹿を見る必要は無いと思う。
一度、一流のペテン師にダマされて欲しい。
自分が、多大な評価をされていると
分かってもらえる筈だ。
過去何度もここで言及している
「笑わせている」「笑われている」
という俺の大嫌いな
プライドと意地以外に何の意味も持たない言葉も
何か、俺を変な感じで笑っている
と感じさせる、手助けをしているように思う。
弄られるなら、ジタバタせずに
分からないという事を分かって欲しいと願う。


それは、プロデューサーとアーティストの関係性のようなもので
そこに愛が無ければ、アーティストは光りません。
第三者にあなたの魅力を分かる人が、
プレゼンしているのだから。
そこで問題視されるのは、本人が望んでいるかどうかで
本人が望んでいないなら、まぁしょうがない。
弄ら無い方が良い。迷惑なのなら。
それでも、強い足腰を見たら
プロ野球にスカウトしたくなるのが心情です。
変なスカウトに引っかかるくらいなら、
俺のが、幾らかマシだと思ってしまうのですよ。
こいつこんなにオモロイのにもったいない。
と感じてしまうのですよ。


自分の価値を判らないで、
なすがまま弄られたり、変に嫌がったりすると
進級、クラス替え、卒業等で、
プロデュース時と同じ様に振るまい、失敗する人もいます。
調子こいて、セルフ・プロデュースでアルバム作ったら
売れなかったみたいなもんです。
このように、身の程を知らせる指針としても
プロデュースの力は、物凄く大事なんよ。
いじると、いじめるを混同すな。
これは、弄る側と弄られる側の両方の問題。