無責任な生。

自身でジャッジを行う事は、大切な事かもしれないが*1
ジャッジを下さないと、経験をつめない事はとても悲しい事だ。
口に出さないだけで、ジャッジの為の経験という
転倒が起こってしまう、未成熟さ。
ジャッジを下してから口を開く習慣がつき、
口を開く為にジャッジをする。
例えば、ドラマの第1話を見て、まだ分からないから、と言うのか。
それは違う、そこまでの材料でジャッジを行うのだ。
お金を払っていないから、ジャッジ出来ない。全くナンセンスだ。
見た事無いけど、多分つまらない。何かウザそう。
大いに結構。それも、作品に対する、立派なジャッジだ。
そして、ジャッジは結果ではない。
ジャッジとは、常に流動的な物だ。
その場その場で、変わっていく。環境や立場で、変わっていく。
それによって受ける、イメージが、個人にとってダメージだとしても
それも、それによって齎された経験だ。
何事も恐れず、大いに語るべきだ。
最後まで見ても結局、印象論でしか語れない
残念なお頭なら、全てを経験する必要なんて無い。
手近にあるモノから食えばいい。
マンガを、途中から読んだっていいじゃないか。
1話を見れなかったからといって、
ドラマの視聴を止める必要なんて無い。
始めてジャンプ読んだ時、全て第1話だったか?
第1話からのものじゃないと、読まなかったか?
経験のファクターとしては、その時点の方が成熟していた。
全てを並べ直すなんて、退化でしかない。


人間は、元々生まれながらに途中の物語を
最後まで見る事は出来ない。
といった、奇跡的な美しさを保っている。
自分だけが知らない世界にイライラする感情は
生の存在。つまり自分のlifeにイライラする行為であり
それは、とても危険な感情である。
途中から途中までを語ることに適していないWEB上で
個人サイトが抱える、妙な責任感、緊張感、説得力は
とても危険だという、お話。
上の話と重ね合わせるなら、
子供を産むという行為(HPを産む)は、概ね無責任であって
自分以外の生に無頓着でいる事は、健全な感情だということだ。

*1:誰かのジャッジに許されないとジャッジを行わない世界よりはましだが。http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20060113