癒しという、暴力

正直者という存在は、存在しない。
何故なら人は、
正直者を基本前提にしているからだ。


図にすると
嘘吐き⇔嘘をつかない人≠正直者
だからだ。
嘘をつかない人と言うのは、
変な言い方だが、
嘘をつかないのは、当たり前だから
嘘をついている状態が異常
だという前提に成立させている。
まずココに違和感があるが
ま、嘘をつくのは悪い事なんだろう


進行上、話しを繰り返すが
正直者=嘘をつかない人
ではなく、譲歩をした所で
正直者≒嘘をつかない人
だろう。で、
正直者≒嘘をつかない人≒嘘をつけない人
と、いうのは飛躍しすぎだろうか。
しかし、この嘘をつけない人という
人間がとんだ食わせ者なのだ。
取り敢えず、話しを進める。


上の表を便宜上簡略化すると
正直者≒嘘をつけない人
となる。
そして、嘘をつけないと言う事は、
嘘を言う可能性の、著しく乏しい人
だと言う事もいえる。
 この場合、嘘をつかない人の方が
 状況を判断し、迅速に嘘をつく可能性は薄いだろう。
ココにおいては、可能性の減退が問題で
状況に応じて、上手に嘘がつけない。
と、言う事は
自ら器を小さくしている、振り幅の狭い
融通が利かない人ではないのか。
これを、先ほどの表に足すと
正直者≒嘘をつけない人≒融通が効かない人
正直者≒融通が効かない人
となる。


状況に応じて、臨機応変に対応出来ない事は
対人関係では、
場の空気を読まずに「NO」と言える厄介者だったり
 (自分の意見が正しいと思えば、それを押しとおす。
異常に自信過剰に見え
そして逆に、状況の変化に対応できず
頼り甲斐も無く見える。
自分のフィールド以外では
根暗なウザイ野郎だと思われてしまう。
例えば、異性と付き合った時
自分の恋愛観を、相手にも求め
押し付け、そうならない相手にイライラし
ともすれば、怒り・強要するような事は
ワガママと、取られるだろう。
しかしこれも、自分に正直であった結果なのだ。
例えば、他人の心よりも、プライドや自尊心を優先し
急にテンションが、
上がったり下がったりされたら、どうだろう。
一人では、良いかもしれないが
集団生活の場では、迷惑なだけだ。
というか、キモイ。
この場合も、自分に正直であった、ぶり返しなのだ。


この様な時、正直であった自分を盾に
逆に人を認めない行為、
それこそが、正直の正体なのではないだろうか。
正直であった、俺が悪い訳ではない。
そんな理屈は、有り得ない。
トラブルが起きた場合
その場に居合わせた全員が
加害者であり、被害者なのだから。
好きだから好き。
って言う事は、人に迷惑を与える。
自分の好きな事・物・状況・フィールド
を訴え、求めるには、
それなりのリスクと、責任が伴なうのに
それを放棄して、正直を盾にする事が
正直という、善のレッテルに守られる事に
違和感を覚える。


又、それは
社会的に仕事が出来ない事にも繋がる。
しかし、正直であるというバリアは
仕事が出来ない事の、言い訳にもなってしまう。
言われた事は、キチンとやるが
言われないと何もしない事は
必ずしも、指導者に問題があるのだろうか。
言われた事をこなす能力は、能力ではない。
当たり前の事だ。
言われた事を、効率的にこなし
時間的余裕を作り、
他の仕事を探し、取り掛かる事が
仕事上の個性だと思うのだが。
言われた事を正直にやって、
怒られるのは、筋が違うと怒る事が
筋が違うと思う。逆切れだ。


もう一度言おう
正直者という存在は、存在しない。
そこに居る、善良な皮を被った人間は
無能でワガママな、ガキだ。


これは、集団生活を潤滑に行える人には当然だが
当然の様に、そうではない人も居る。
そういぅ人に、アナタはこう見られている。
と、言う事を知って欲しくて書いた。
 知れば、問題点が浮き彫りにされると思う。
俺は、違うと思う人が、大多数だと思うが
全て当てはまるような人が、真っ直ぐに
こう言った事を受け止めるとは、到底思えない。
少しでも、当てはまるポイントがあったら
そこに於いては、アナタもこう言った風に
見られている可能性が、高いと思う。
そして、そういった少しのポイントも
積み重なると、大きな印象になってしまうので
気を付けた方がいいと思う。
どのような人間であれ、人は皆ワガママなのだから。