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体験するアイドルから音楽とダンスについて5 -システム-


体験するアイドルから音楽とダンスについて
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前回アイドル戦国時代について、これは所謂アングルであり個々のグループは内側を向き、アイドル史の全体性を担保するものでは無いために演出された(それをするのはアイドルに関わらずgooglewikiYouTube等じゃないかと)、存在しないシーンである。という事を書きましたが。これは○年代以降や、誰それ以降、といった明確な区分がある訳ではなく、現在進行形のままアイドル的な何かとしか呼びようのない何かが拡散し続ける状態が、否応なく降りかかっている状況の話であって、具体的な誰かの意思によって変化した訳ではなく、時代の要請に沿うように形を変えたというのが、正確な言い回しだと思われます。


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二年前ゆるせない話で有吉さんが、テレビとか出ないでグラビアだけで儲かる方法を考えてもらえれば。という話をされていましたが。アイドル史が拡散し個々のアイドルを支えることが出来ない状況に剥き出しで宙吊りにされたアイドルが、それだけで(例えばグラビア活動だけで)存在できる程、回せているかといえば極一部だけです。TV史と切り離されてたとしても、個別のアイドルと利益を共同する限りに置いて存在はすれど、助ける義理は無いわけで。この状況論は格闘技業界の斜陽ともピタリと一致します。そういった個々のアイドルをぶら下げる概念が失効した時代に、まるでその大きい物語が存在するかのような演出としてアイドル戦国時代というアングルが選ばれたというのは、他ジャンルも学ぶべき所のあるアイデアでしょう。



例えば、TV番組が終わると同時に解散するポニーキャニオン系アイドル、チェキッ娘(98)、キャンパスナイターズ(09)は、完全にTV史と心中する切り離されない存在ですが。同じポニーキャニオン系列でもアイドリング(06)は違う訳で。何年以降に○○の存在によって変化したとは言えません。もしかすると、別の何かなのかも知れません。
そこで、チェキッ娘と同時期であり、当初ASAYANやうたばんと切り離してなお存在するグループではなかったが、途中からTV史から独立した最初のグループ、モーニング娘を例に考えてみようかと思います。



娘たちの大小厭わない会場や舞台での活動は、当初はドサ回り等と揶揄される事もありましたが、現在下積み期に太客と一緒に、物語やスキルを積み上げていく活動をしないグループの方が珍しく、むしろTVには出とるのにライヴ活動が疎かであったり、(実際どうかは兎も角)大きい事務所やからチヤホヤされとる温室アイドル等と、逆に揶揄の対象となる逆転現象が起こります。


更にAKBの場合は、劇場の常設で現場を聖地化してしまうという(聖地化はファンと物語を紡ぐ過程で否応なく起こり得るものですが、現場が準備されているグループは稀)、娘から更に一歩進めた、吉本や宝塚型の永久機関を目指していると思われますが、ここに来るとアイドルのゴールをそこに置くこと自体に異論がある人が出てくるでしょう。
ただ、女の子の夢の受け皿としてのアイドルシステムは、一瞬の爆発を切り取るものではなく、長い目で生き続ける幸せに舵を切っている事は確かだと思います。(ちなみにミニスカポリス(96)はTVのチカラが強すぎて、メンバーは変わるがTV番組は終わらないというものでしたが、このシステムのTVのチカラの部分にグループ名が入るのが現在主流のシステムであったり、アイドルのあり方に多少影響を与えている可能性もあるんじゃないかと思っとります。)



しかし当然のように、この受け皿として死なない体制の構築がもたらした、彼女たちの身体性よりも上位概念にシステムが存在することの違和感は表出するでしょう。
敢えて挑発的な言い方をすれば、ファンは少女の幸せを食らうことで、自らが幸せになる構造を消費していたのではないか。現場でアイドルを消費している時に、妙な背徳感は無いだろうか。まどか☆マギカで例えるなら、自分の穢れをアイドル達に吸い取ってもらってスッキリする感覚って無いのだろうか。つまりアイドルとは現代の巫女であって。極論を言えばファンとは彼女たちを死なないように延命をさせるが、彼女たちを幸せにする為ではなく、自分が幸せになるためにアイドルを死なないようにしているのではないか。では、AKBのシステムが吉本や宝塚のようなものになった時、本質的なアイドル性というものは失われているんじゃないか。とも言えやしないか


勿論これは凄く嫌な言い方をしただけで、自分のストレスや日頃の鬱憤をぶつけるのではなく、忘れる為にお金を払うのだ。という言い方をする人だって凄い沢山いるでしょうし。自分は足長おじさんになって彼女たちの夢を叶えてあげているのであって、それ自体が私の宝物なのです。という人だっているだろう。
ただファンがどう考えているか、どう好きかとは全く関係なく、社会はぶら下がる大文字のアイドルを失効させ、否応なくアイドルの形を変えつつある訳で、同時にアイドルとの向き合い方を消費者は試されている。どちらにしろ今までのままというのは有り得ないでしょう。
こっから先にフォーカスを合わせるのが辛いのでこの話は止めますが、しかしTVタレント、グラビア、歌手と細分化された時にアイドルという言葉が担保する何かって本当に存在するのか。それでも残るアイドル性って



こんなコト書くつもりじゃなかったのに、どうしてこうなった…


http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20110728/1311811692

体験するアイドルから音楽とダンスについて4 -アイドル戦国時代-


体験するアイドルから音楽とダンスについて
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SPEED・モーニング娘以降は専門性が高まり、やる側も見る側も「ネタ」として「あえて」感があって、逆説的に一部ハロのセクト化を齎していたように思う。その事により新規のハードルが著しく上がってしまい、アイドル史的には停滞の時期といった意見が大凡の見方だろう。


こうなると、アイドルとそのファンは強力な内輪になってしまう。これ自体は過去、様々な新興ジャンルが経てきた事ではあるが、そのジャンルの多くが洗練とアカデミズムで強いバリアを敷いてきたのに対し、アイドルは死ぬまでポップカルチャーである宿命からは逃れられないという宿命にもがいてきたのではないだろうか。
その証拠というわけではないが、以前AKB48モーニング娘が共演したときのモーニングの地肩の強さには唸ったものだが、如何せん歌も踊りも強くてもそれが魅力や面白さに直結しないのが、面白くも難しい所。また、K-POPといった外部からのグローバルスタンダードクオリティが、視界の外から巻き上げ、そのどちらにもいけない立ち位置は傍目にも厳しい。数多のアイドルへのリスペクトから、アイドル史がやってはいけないコトだけが書いてあるルールブックと化してしまった冬の時代のアイドルはポップでもアカデミックでもない「悪い場所」だったと言える。



だがしかし、これもインターネット以前のアイドル史観でしかなく、シーンへの奉仕が前提化されて始めて浮かび上がる概念であって。大きい内輪のまま世間を巻き込む事が、ネット以降の共時性によって可能になるのかも知れない、といったアングル。それが俗に云う「アイドル戦国時代」という奴なのだ。それ以降アイドル史はルールブックではなく、巨大なネタ帳になったのだ。


ここまでAKB48がヒットする前までは、読モや美人すぎる素人であったことからも明らかなように、些か観念的且つ格好つけた言い方をすれば、現在は誰もがアイドルであってアイドルではないと言う方が出来る(隣の席で酔っ払ってるおっさんだって、ファンがいてそれが既成事実化したモノを本人が受け入れていれば、アイドルだといえる。それ自体の費用はネット以降ほぼゼロにできる)。一つの教室で五人程度が同じ人を好きならばもう殆どアイドルなのだ(極論だけど)。それはアイドル的なアングルからの逸脱という紋切り型の形容だけではなく、各々が各々の歴史にしか立脚しなくても独立できるのならば、アイドルという大きい物語を必要としないということだ。
それだけに冷え切ったグループに根ざせる根拠は無くなり、読モや美人すぎる素人や女優などとも剥き出しで戦わなくてはいけなくなるため、戦況は不利になることも多い。オタさんは優しいから匿ってくれるだろうが、それとあしなが育英会アイドルマスターとの差異はあるのだろうか(一対一の育成ゲームなら子供産めよ的な)。勿論これは観念的なモノで、採用するしないに関わらず振りかかるものなので知ったこっちゃ無いし、アイドルはどこまでいってもポップカルチャーである。だから個人的には円熟期によって、内輪のままポップカルチャーである事にアイドルが耐える強度を手に入れたと言う風に考えるのが妥当ではないかと思う。


例えばセクシー☆オールシスターズというグループは、(以前ならアイドル?と「?」を入れなければ、居心地が悪かったかも知れないが、このスピードの中ならアイドルだと、胸を張ってしまって大丈夫だと思うが)コンセプトにあった人間が数人呼ばれ、ヤンキーや戦隊物や三国志といった様々な意匠を小さい単位でコスチュームプレイしながら、そのどこにも属さない。
(セク☆オル内の)爆乳ヤンキーにおけるヤンキーは、クローズ、ろくでなしブルース、カメレオンにおけるヤンキーとは違い、別にヤンキーでなくても成立し、それを繋げる何かは「爆乳」なのだ。今までなら爆乳が(より大きい物語に見える)ヤンキーや三国志をぶら下げる大きい物語の概念足り得たかといえば、圧倒的に足りえなかったであろうが、それを可能にしてしまうのは、やはり上述したようなパラダイムシフトを経たからに他ならなく。今やセクシー☆オールシスターズEXILEが並んでいても、別段大きな差異は見出せない。



Perfumeが出てきた時にアイドルじゃなくて○○って言いたがる人がいたように、今後も○○はアイドルじゃないんじゃないか…と言われる事はあるだろう。だが問いそのものが無効化されている以上、その問いは質問者の自意識の問題でしか無い。その時にはサブカルの出番になったり、いやプロレスでしょうっていう人も出てくるだろうけども、そもそも空虚な中心が遠心力になるって事自体がアイドル性なので、それを言い合うこともアイドル戦国時代を構成するネタの一つでしか無く、答えや正解なんて存在しない。だから不毛だというわけではなく、ただのゲームである強度を得たファンたちは、その全員が批評という名のアイドルの二次創作者と言え。ファンとアイドルの違いもまたスレスレなのだ(アイドルが他アイドルグループオタである事が当然のように消費される)。
戦国時代とは言え事務所同士が本当に潰しあっているわけではなくw(AKB48のメンバーは複数の事務所に所属している)、アイドル同士が向きあうことで互いの魅力を引き出す事に注力している段階だが、本当に戦っている相手は世間の可処分時間である以上、時としてアイドルのまま(大きな内輪のまま)でアイドルではなくなる(外部)こともあるだろうが、その時は、暗闇の中でもどこにいるか分かるように、誰よりも大きい声で名前を読んであげて欲しい。気持ち悪いけど。

http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20110528/1306583089

体験するアイドルから音楽とダンスについて3 -進化-


体験するアイドルから音楽とダンスについて1
http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20110326/1301142693

体験するアイドルから音楽とダンスについて2
http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20110420/1303278682


続いてフォーメーションを進化させたモーニング娘と、振りを進化させたSPEEDの話になるのですが、振りと言われて即座にイメージするのは手の動き。これはパラパラやオタ芸・V系の咲き、竹の子族まで遡れるファンパフォーマンス等が顕著で、おニャン子クラブWINKが想像しやすいかと思います。些か暴論ではあるでしょうが、SPEED・モー娘以前は、ほぼ手の動き=振りと言っても過言ではなかったのではないでしょうか。



SPEED・モー娘以降、何がそんなに大きく変わったのかというと、大まかに言って裏で自然と泊を取り、それ以前の手で行われる振りから、腰でリズムを取るダンスに変化するようになる。これはSPEEDをイメージしてもらうといいでしょう。そしてダンスが手から腰になることで、ダンスと音がシンクロしだし、変な言い方ですが、楽器をもたないアイドルでも曲を体で演奏しだすようになります。



余談ですが、こういったユースカルチャーシーンの素地には、ニュージャックスウィングという新しいステップの流行があり、DADA LMDやダンスダンスダンスといった番組が生まれ、ダンス甲子園という大人気企画がお茶の間への波及効果を産んだのが90年初頭。ここからサブカル的にも多くの固有名詞が存在しますが割愛して、DA.YO.NEや今夜はブギーバックとdj hondaの帽子が90年代中盤。同級生でダンスの練習してる子とかいましたね。またこの時期avexがR&B部門を創りだしたとも言われています。



またこのような流れから、SPEEDを純然たるアイドル定義に反するものとする、純アイドル史観というものもお有りかと思われますが、そこを切って話すと実は今の多くのアイドルが切り取られてしまうほどの影響力があったのもまた事実と言っていいでしょう。


少しPerfumeの話をすると、去年出した「ねえ」という曲のパフォーマンスが振りまで足で行っていて面白かった。前述したとおりPerfumeはフォーメーションの部類に入れてますが、大人数で同じダンスを踊る振りや、一矢乱れぬフォーメーションが注目を集める中、ダンスの変拍子とでも言うようなディレイするフォーメーションで、シンクロしてないんだけど、時々シンクロしているように見える変わったパフォーマンスをしてました。以前ポリリズムって曲も出してましたが、こういった音楽的なダンスの目線で見たことがなかったので、それまでの手の振りに比べて、音楽と格段にシンクロしたダンスの一つなのかも知れません。



フォーメーションは言うまでもなく下半身のダンスですが。このような話から、リズムが手から腰、足へと徐々に下に降りてくるにしたがって、パフォーマンスが少女から大人へと成長していくようにも見えます。そして演奏しだすダンスは自我の発見でもあり、アイドル性と引き裂かれる身体という話になっていくのですが、フォーメーションを進化させ、体を人間とキャラクターに引き裂いたモーニング娘。の話です。大まかな話なので細かい歴史はググッてください。


TV番組でロックヴォーカリストを探す企画から落ちたメンバーでデビューを目指す彼女らは、現在ではデフォルトになっている物語演出の走りと言われていますが、この時点ではポケットビスケッツ辺りの企画物との間に大きな違い見出せません。曲に関しても「モーニングコーヒー」等は純アイドル路線を、大きく逸脱しないですし、「LOVEマシーン」以降のアイドルファンクの前提(と、合いの手コーラスの内在化)を決定的にしたグループとまでは言えなかったと思います。
これ以降もTVをつかった物語化は激化し、キャラクターが、正史・楽曲に跳ね返ってきたり、身体そのものを音源に落としこむ、現在まで連綿と続くキャラソン化の土台を広く解釈したグループであることは間違いないと思います。しかし、個々人のダンススキルこそ秀でた才能を感じさせるものではなく、フォーメーションを進化させた何かは、やはりここでもTV的物語演出による入/脱退の激しさが遠因になっているのではないかと思います。


例えば「恋のダンスサイト」で有名なセクシービーム等の小ネタは、いくつかの入/脱退を経て、矢口真里から後輩へ脈々と受け継がれ、キャラクター的身体の流動性と人間的身体の深刻な乖離を促し、セクシービームはコピーされ増殖していきます。



モー娘は、日常的入/脱退を受け入れることで、メンバーがどんどん記号的になっていくわけです(そして記号的身体とプロトゥールズの相性の良さが発見される)。しかし人間的身体は、ファンに取ってみれば掛け替えの無い存在であって、それは非情な物語化ともいえます。もしモー娘のフォーメーションが移動しない隊列であったら、その不在はより強調されたでしょうが、それはコピーし増殖していくセクシービームの文脈と意を反し、振り切らざる追えなかったのではないかと自分は推察しました。そしてその非人道的キャラソン化が、結果的にフォーメーションの進化を皮肉にも、促進させたのではないかと思うわけです。
以降ここが基本にされてしまうと、グループアイドルが冷え込んだのもあながち複雑化したフォーメーションと関係ないこともないかもしれません。



http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20110522/1306072834

アイドル評論下から見るか横から見るか

一連のアイドルのダンス話を止めて、今朝連投したツイートの編集再掲。


ここん所のアイドルを巡るサブカル語り云々は、アイドル評論の根っこに「おたく」と言う言葉を作って、同族を背中から撃った中森明夫がいるからなんかな。てかそもそもアイドル評論家ってファンにめちゃくちゃ嫌われるよね。求められてないって言えばそれまでなんだけど、なんでだろ


評論はそれ自体を目的としなくても、その経過に分析が要されることは往々にしてあり、分析によってアイドルを支える体系を解体させられるのを嫌がっているのならば、それ端的に言えば宗教だからで、AKBの歌詞が自己啓発なのは狙ってなきゃしてないんじゃないかな。
例えば、友達とこういうアイドルがこれこれこういう理由で面白いんだよー。なんつっても、不細工じゃんで終了で、そもそも一人の女性の顔やスタイルやエロへの興味って1年ももたないで飽きるでしょ普通。だからルックス以外のリリースがあって物語化する(ホントはリリースすらする必要ないんだけど、リーチする手段だったり言い訳だったり)。彼女だって風俗嬢だって一緒じゃないすか。物語がなけりゃ愛情は続かない。けど物語化する事で宗教化する。宗教なら信者に対して、教祖の解説する人がウケるわけ無いよ。他人の考えなんか知ったこっちゃ無いもん。


宗教ってハマってる間アドレナリン凄いでしょ、言葉的にはレッテル臭いけど、CD100枚買わないと身内に不幸が訪れますよとか言うわけじゃないし、ままならない日常をやり過ごす為に違法薬物とは違う方法で穢れを落としてんだから、別に悪いことでもなんでもない、むしろ楽しんで生きてんじゃん。横から関係ない人にごちゃごちゃ言われたらムカつくかも知れないけど、ウザかったらブロックすればいいし、耳引っ張って読み聞かされるわけでもない。アプローチが違うだけで、消費にそんな違いはないよ。


こういうのはアイドルに限らないし、特に最近話題に上がるプロレスは、猪木や前田や高田や船木なんてアイドルがいて参謀がいるのは定石だし、最近はなくなったけどシステムを暴く人間はユダ扱いだったよ。人間そのものを売る商売はロックバンドだってなんだって基本的に一緒。自分の信じたい対象を信じる、ハリボテの神様の話。UFO幽霊妖精のシステムや体系を真剣に論じ合うわけよ。アイドル評論なんて所詮オカルト学なわけで、そら虚しくもなるわ。アイドル評論を語ってると、アイドルそのものを消費してるんじゃなくて、アイドルを語る自分を消費しているように見えてキメエって言われるんだろうな。どっちも一緒だよ。対象がいなきゃ出来ないんだから。楽しみ方は人それぞれと言いながら、てめえの言い草は分かってねえってのはなんだろう


よく「純粋に」とか言うけど、純粋って絶対価値でもなんでもないし、純粋と盲目は違う。オカルトに置いて盲目が善なのは、対象を偶像じゃなくて教祖にしてるから。上述したように、盲目でも悪いわけじゃないんだから別にいいのに変な衝突が起きるのは、分析が盲目を覚ますからなのかな。
そこはノータッチなので大丈夫ですって看板を掲げても信用してもらえないかもしれないから、その為に共犯関係が…と思いきや、豪さんとか必ずしも現場主義に裏打ちされてる訳じゃなかったりするよね。システム解剖は明言しないだけで、信者より詳しい情報量で圧倒させるリサーチ力か…


例えば横からごちゃごちゃ言われない為には、「純粋な」物語を脱臼させるゴシップ誌も一緒になってアイドルをプロデュースしないと駄目?AKBがもろもろの出版社に兵隊を送り込んで、部数を上げさせることで黙らせるってのは、ヤバいけど凄い頭いいよね。そうかパンチラは極端な形のアイドル批評なんだ。あれは第三者機関が王様は裸だと監視するシステムなのか。


少し話はずれるけど、アニメやマンガに比べアイドルは消費の対象が人間だから、評論の対象も作品じゃなくてアイドルちゃん自身の個性とニアイコールになりがち。アイドル自身て言うのはここでいう教祖だから、アニメやマンガ評論に比べアイドル評論は、実在する人格の個性の魅力を分析することになる。しかしそれは、信者一人ひとりによって発見される魅力が異なる為、アイツは分かってないとか関係ない部分の正誤に腐心させられ疲弊する。アニメ・マンガ評論だって同じなんだけど、監督や脚本家が単体で消費されるわけじゃないから。


アイドル語りは、今この瞬間を発見した自分と対象の物語だから、アニメ・マンガに比べると、何年のどのライブを見てない奴が語るなという圧力が偏在しにくく、過去のアーカイヴに依存しない。ならばもしも音源を出さない、TVにも出ない、アイドル自身も流動的で(アーカイヴを残さない)、アーカイヴになってしまう媒体に依存しなくても、現場で音楽も演技もしてマネタイズも出来たら、物語を産まないまま瞬間瞬間の出会いと別れが体験でき、他のアイドルが全くいらない、唯一無二のアイドルシステムの誕生じゃん…って昔のAKB?まあネットがあるから、人気ものになって稼ぐ人達がアーカイヴから逃れるのは無理だし。むしろ今はネットで醸造された物語をAKBに循環させて物語を走らせてる状態なんでしょ、ディスってるわけじゃなくて、スゲエよ。最強の宗教じゃん。

体験するアイドルから音楽とダンスについて2 -振りとフォーメーション-


体験するアイドルから音楽とダンスについて1
http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20110326/1301142693


前回書いたように、PerfumeからK-POP辺りのパフォーマンスは、少女的ではないクールなものだという前提の上で、パフォーマンスの中でも取り分けダンスの話をしたいと思います。
最初に言い訳させていただくと、音楽以上にダンスは門外漢ですので、固有名詞の用法や文脈などその筋の人間が見たら発狂モノの意味不明な言い回しになってしまうことがあるかもしれませんが、素人から見たダンスっぽい用語だったり、踊りってこういう事ですかね話として、ふわっと聞いていただければ幸いでございます。


えーっとまず、俺の中でアイドルの踊りは、「振り」と「フォーメーション」で出来てるって印象があります。多分言葉としては間違ってるんでしょうが、振りは踊る人の構成で、フォーメーションは流れの構成というイメージです。
で、例えばPerfumeなどは、フォーメーションのグループで、振り自体は真似しやすいが、フォーメーションが複雑で、振りができている人でも単なる振りコピは再現にしては雑な印象をあたえる。逆にゼロ年代以前、一部を除いた殆どのアイドルは振り主体で、フォーメーションはただの移動に近いと感じています。勿論個別具体的な例外は多々あるでしょうが、極端な例としてSPEEDのダンスは一人ひとりの振りが四つあり、楽曲の要請でフォーメーションが変わるイメージ。それでも、ウィーンガシャンとフォーメーションが変わるようなグループに比べSPEEDはその両方のスキルが高く、以降はフォーメーションのレベル自体が上がったと思っています。ここら辺は実際に振りコピしてみると分りやすいかも知れません。



Perfume

SPEED


そしてフォーメーションとそのクールネスですが、とても親和性が高いのではと考えています。それは、フォーメーションには個人に強い抑制を促す効果があるからです。特にK-POPのダンスに顕著ですが、ビートたけし等が昔良くやっていたラインダンスというか、白鳥の頭を股間につけるコントありますよね。あの左右に人形が棒で繋がって手と足の動きがシンクロする道具があるじゃないですか。あれは人形ですけど、私の経験で言うなら二人三脚の感じです。二人三脚って息が揃うまではめちゃくちゃ足痛くないですか?つまり息を揃えるというのは、目一杯に走るのではなく、相手の呼吸を見てお互いのバランスが取れるリズムを探り、その答えに行き着くまでには具体的な痛みを伴う行為だと思うのです。
これをダンスに置き換えると、限界まで足を蹴り上げる振りがあったとして、物凄く足が上がる人は上がらない人に合わせて力をセーブし、中々上がらない人は力の限界を超えて少しでも足を高く蹴り上げ、丁度いい高さをその人数分合わせる。という個人の能力を抑制し、団体の為に奉仕する力学がフォーメーションには発生するのではないか。
またそれが、女性と少女の違いに顕著に現れているのではないか。特に人前でパフォーマンスを評価してもらい有名になりたいといった自己顕示欲と、それに見合うルックスやスキルを有した10代の女の子が、アイドルが中々育たなかったここ数年に、敢えて読モでも美しすぎる素人でもなくアイドルを選択し、かつ目立ちたいとかそういうのを一旦うっちゃって、団体の為に奉仕するというのは、精神的な抑制も生まれやすいのではないかと想像できます。
辛い思いをして自己顕示欲を抑制し、出来上がったものは個性を排された没個性的かつ、大人数で同じ振りをするパフォーマンスですからね。大人にならないと受け入れがたくても仕方がない。



だから前回書いたように、自立した女性のパフォーマンスよりも、一人では何も出来なそうな黒髪ロング童顔少女が大人にやらされるという欲望に支えられる市場では、フォーメーション主体のアイドルパフォーマンスの進化が遅く、振り主体のアイドルパフォーマンスの進化の方が顕著であり、日本のような萌え漫画・アニメ文化が強い市場と完全にシンクロするのではないかという仮説が立てられます。
また国内外ゴシップから見える、アイドル達の少女に見られたくない、あたいは大人の女だよと言いたいかのような極端にパフォーマティヴで奔放な態度(以前宇多丸が提唱した黒アイドルとでもいいましょうか)。これは完全に抑制による反動でしかないですよね。清純のイメージが強ければ強いほどの例としてこれ以上ない沢尻エリカと言う素材も居ますし。


これは印象操作に当るかも知れませんが、KARAや少女時代の平均年齢は20歳とお酒の飲める年齢なのに対し、(研究生を除く)AKB48の平均年齢は結成年度が2年早いのに18歳と2歳若い事と、K-POPアイドルのダンスがフォーメーション主体な事は単なる偶然なのでしょうか?


http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20110503/1304421358

Ustream番組 成馬零一放送局


成馬零一さんのUst番組の配信を
お手伝いさせて頂きました。
内容は今季のドラマ
特に、大切なことはすべて君が教えてくれた
についてです。


大切なことはすべて君が教えてくれたについて
http://www.ustream.tv/recorded/13640769
その他の2011年度冬ドラマと次クールドラマ&雑談 
http://www.ustream.tv/recorded/13641612


改まった話というより
だらだら駄話をしている感覚ですが
今期ドラマのまとめの代わりにでも
お聴き頂けたら嬉しいです。


というか告知を忘れてましたが、
これは第二回目でして、
ももいろクローバー神聖かまってちゃんについて
配信したものもアーカイヴが残ってます。
http://www.ustream.tv/recorded/13063008
http://www.ustream.tv/recorded/13064865


忘れない限り告知はするつもりですが
急に配信されてることもあるので
コチラを登録するのでもいいのかもしれません
よろしくどーぞ
http://www.ustream.tv/channel/%E6%88%90%E9%A6%AC%E8%A9%A6%E9%A8%93%E6%94%BE%E9%80%81%E5%B1%80

体験するアイドルから音楽とダンスについて1 -前置-


本物のアイドルと生で会って、同じ空間で同じ時間を過ごす体験は、他に代えがたい貴重なサムシング。それはもろもろのハードルを飛び越えた猛者が、猛者故に得られるスペシャルなサムシングであって、誰もがハードルを飛び越える魅力をそこに求めるのは中々難しい所がある。


個人的に物凄くかっこ良くて泣けてくる、東京女子流もTomato n' Pineも(奇しくも両方遅めのBPM)曲が良く出来てれば出来てるほど、ライヴにはライブのよさがあるとは言え、音源を100とした完成度の尺度で自動的に考えてしまう。息切れやダンスの拙さが逆にプラスになる特殊なバトルゾーンとは言え、それはあくまで心の砦が陥落した共犯者達にとってのボーナスポイントで、自分の娘の運動会での頑張りが、第三者と共有できる魅力であるかを客観的に見れるかどうか、詳しければ詳しいほど疑わしい。
CDやDVD(Ustは一旦置いておいて)を超えたプラスアルファがあって始めて、またライヴに来たいと思えるのではないか。その殆どはアイドル自身の人間的魅力による所が、その多くを占めるのは言うまでもないでしょうが。しかしだからこそなのか、俺にとってマックスは音源であることが多い。


だが何故だろうか、ライヴに行って以来i-Podで聞くももクロが、世界最強を決めないMMAのように腑抜けてしまった。これは想定外だ。まさかとは思うが、具体的な音数が減っている。実際に楽器を演奏する音楽、また音源では打ち込みの部分をギターやドラムに変えて演奏するライヴを見た時に似た様な感覚を持ったことはあるが、彼女たちは楽器を弾かないし、アレンジも変わらない(多分)。それどころかライヴでは、声も入った音源の上から歌っている状態で、彼女たちがライヴでアレンジできる領域は限り無く小さい。なのに何故か音数が減っているのだ。

最初に気になったのは、CD,mp3で聞いてもピンとこなかった曲まで、ライブで聞くとすげえいい曲に聞こえた事。とは言え、その時は「ああ俺も遂に彼女たちの魔法にかけられて、客観的な評価が出来ないくらい酩酊してるんだな」と思っていたが、ココに来て彼女たちの音源に以前感じていた音数の多さを、感じなくなってしまっている事に驚きを隠せない。酔っ払ってるならむしろ、ダメな部分が輝いて見える筈だし。PAにあてられるような純情な感情は、せつなさよりも遠くへいってしまっている。そもそも音源派なのに俺…



体験するアイドルをスペシャルなものにする鍵になるのはダンス。それも踊りそのものに対する理解でなく、ダンスと音楽の関係。よく言う、「歌って踊る」というものへの理解についてだ


コレには自分の中で段階があり、多分Perfumeのダンスが今までTVで見たアイドルの文脈と違う、強烈に音楽と文脈を共有したパフォーマンスをしている。という感覚が早い。おそらくあのベクトルの振付・衣装でなく、音楽を聞いたら魅力は結構下がる。もちろんアクターズスクール以降、振り付けに割かれるリソースは格段に上がっただろうし。それが脱アイドル的アングルに見えるのは指摘してもいい。


その後K-POPを見たときに感じた、パフォーマンスによって曲のクオリティが上がっているかのような体験は、誤解を恐れずに言えば「海の向こうに安室奈美恵が9人いるぞ」って素裸で町内を一周しながら心のドアをノックして回って捕まる気持ちがあった。


前にMOGRAでやっていた、Geeというイベントで言っていたのだけど、フォーメーションの中で堂々と歩いて後ろの列に加わる動きを「スタスタ感」と呼んでいたが(詳細は各自調査)もはや殆どファッションショーのようで。前にLifeというラジオ番組で鈴木謙介が言っていた、突然フロアにバタンと倒れこむタイミングも込みでダンスになっている、というグルーヴに関しての話があり、その場では澁谷知美さんが、アイドルは押しなべて振り付けなので、東方神起に突然フロアに大の字になられても困ると言っていたが「スタスタ感」及びK-POPのダンスにある「抜き」に関しては、鈴木謙介の言っているダンスに限りなく近く見える。


勿論そんなのは倒錯で、振り付けに決まってるんだけど。スタスタしてる時の彼女たちはまるで、振付から離れグルーヴを獲得したかのように感じさせた。それはパフォーマンスが音楽を食い、音楽がダンスをクリティカルに捉える瞬間の発見で、そのくらい俺は海の向こうのアイドルに酩酊していたと言える。


勿論それ以前から、そういった体系は存在していたのだろうが、個人的な体験としてはPerfumeからK-POPへが決定的。とは言えK-POPに置けるダンスのクールネスは、少女では無く自立した女性のパフォーマンスであろう事は、何となく想像でき。日本のアイドルとは、一人では何も出来ない少女が大人にやらされてる(実年齢的な意味でなくロリコン)という、女性の自発・自立を嫌い、痴漢されても黙って我慢してしまう所に萌えてしまうような、かなりヤバい欲望に支えられるドメスティックな市場を命題にしたプロダクトで、基本的に違う。
その為K-POPを日本アイドル体系で捉えるには個人的な体験を除けば、些かアクロバティックな接続を要するだろう。しかし全くホツレがないかといえば、そうでもないし(多分個々は事務所を訴える人もいるくらい自立した女性なんだけど、俯瞰でキャッキャしてるとまるで少女)。安室、MAX、SPEED以降のアクターズスクール的かっこいい風の素地が、海賊版YouTube的経路で影響を与えたことを全く無視するものでもない。


うーーん、アイドル語りをしようとしたら、前置きだけで2000字…。ももクロちゃんはピンクレディを祖に置くと正統派なのではって話が全然出てこないっ(しません
http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20110420/1303278682